人間の芯にあるもの、1Q84
窓の外から無邪気な子ども達の叫び声が聞こえる。今日は風が強いが太陽に当たれば暖かい。きっと外で元気よく走り回っているんだろう。昨日の雨は久しぶりの本降りだった。厚手の上着を着て食材を買いに傘を持って出掛けた。最近はいつ行っても混んでいたスーパーも、冷たい雨のせいなのか昨日は客がとても少なかった。家で静かにしていてもどうしたって腹は減ってしまう。何もしていないと思っていても、僕の身体は音も出さずに淡々とエネルギーを消費している。
人間が持つこの肉体は何だろう。魂の容れ物だろうか。仮に容れ物だったとして、容れ物が失くなった後には何が残るだろう。心は直接は目に見えなさそうだ。だけども名前を付けたほうが肉体と判別しやすい。窯で焼かれ骨だけになり、まだ熱が冷めきらない金属枠の中で肉体だったものが横たわっている。骨は見た目以上に軽いのに、実際それを摘むと自分の腕が強張っているのがわかる。重さをすっかり失くしてしまっているはずなのに、見えない荷物を背負い込んだように感じる。
今この世界で起こっていることに何か意味があるんだろうか。僕は意味のないことなどひとつもないと思っている。ただ意味を見出せるのは、大抵の場合は問題が解決した後のほうが多い。その渦中にいる時には毎日不安や戸惑いが付きまとう。冷静になるほど余裕もないから、慌てがちだ。普段何とも思っていないことまで気になり出して感情的になってしまう。僕は自分のことを熱しやすく冷めやすいと思っているが、何事もそうかと言われるとそうではないこともある。
村上春樹の「1Q84」の主人公・青豆。彼女の裏の顔は、決して陽の光を浴びて注目されるべき仕事ではない。しかし彼女は確固たる信念と正義の元に行動していた。例えそれによって自分の命が脅かされることになったとしても、それを乗り越える源を誰よりも彼女自身が理解しているのだ。青豆は自らの肉体を徹底的に管理する。またそれが彼女の表の顔とでも言うべき日々の生業に通じている。そして裏の仕事の依頼主は、青豆とお互いの秘密を共有することで法の外で裁かれるべき人物を特定し実行に移している。
敢えて暗殺者という言葉は使わずにいたい。スパイ映画のような刺激的な要素がないわけではないが、組織的というよりはもっと個人的な正義感に寄った行いのように感じる。青豆達がターゲットにする人間のほとんどが、女性に対して過度な暴力を奮いながら、法で裁かれることもなく日常生活を続けている。傷を負わされるのはいつも女性達ばかりで、警察や司法に頼る余地がないほどに男達は許し難い人間に映る。
青豆達に、彼らを裁く権利はあるのか。野放しにすることで同じように苦しむ人達が増えるのであれば、消してしまうことも厭わない。そんな悲壮とも言える決意の中でも、青豆の心の中にはいつもある青年の存在があった。何気ない日常でも、気が狂いそうになる非日常でも、優しい灯火のようにそれはいつも彼女の心を温め続ける。物語はまだ途中だ。