邂逅の兆し、1Q84
少年は少女が握った手の感触をずっと覚えていた。彼女は彼を愛すると決めた日のことをずっと覚えている。別々の場所で、交錯するとは思えない別々の人生を生きる2人。しかし運命は確実に彼らを手繰り寄せていた。2人も気付かない形で突然全てが繋がることになるだろう。文庫本で2巻目に突入した村上春樹の「1Q84」。会社に通勤していない今だからこそまとめて時間が取れる。この苦境を乗り越えた先に、それまでの日常はもうどこにもない。
女は首都高速の非常階段を降りた時、そして男は新人作家の不思議な応募原稿に出会ったことで思いも寄らない事態に向かって日常が変化していく。そして2人がやがて巻き込まれるであろう出来事の裏には、何やら怪しい宗教団体の存在が浮かび上がる。そして夢か現実か、上空に輝く月は大小2つになっていた。リトル・ピープルと呼ばれる正体不明の存在。物語は静かに、しかし間違いなく運命の邂逅に向かって動き出していた。
読んでいると、同じ著者の「アンダーグラウンド」を思い出す。こちらは「1Q84」とは違い、実際に1995年に東京で起こった地下鉄サリン事件の被害者へのインタビューによって構成されたノンフィクション作品だ。「1Q84」はフィクションだが、盲目的な集団心理がもたらす狂気を匂わせるという点では、地下鉄サリン事件のような実際に起こった事件を思わずにはいられなかった。自分の頭で考えることを放棄し、他者に行動規範を完全に委ねることで、外部の人間から見てどんな凶行だったとしても躊躇わない。そんな恐ろしい力が働いている予感が物語から漂っている。
その不吉な展開の中でも、主人公・青豆の驚くほど鮮やかで眩しい愛の誓いが時折鮮明に映る。運命の悪戯にあったとしても、邂逅を信じて生き続けている。彼女の生業や行動を追っていると、健気という表現が果たして適切なのかどうかは分からない。ただ彼女の気持ちはとても純粋で力強いものだ。
青豆の物語と並行して、小説家を目指す主人公・天吾も、応募原稿を書き直し文学賞に名乗りを上げるという一見詐欺とも思えるような編集者の計画に否応なく巻き込まれる。原稿は無事に天吾の手によって書き直され、物語の肝はそのままに新人賞を受賞することが決まった。しかし謎は残ったままだ。口頭伝承のように、物語自体はある少女が口頭で話したものを書き取ったものだ。そしてその少女の語った物語の作中に登場するリトル・ピープルの存在。彼らは青豆に近しい人物のそばにも現れていたのだ。しかしまだ青豆と天吾はその接点には気付いていない。
邂逅という言葉は、思いがけなく出会うことという意味だ。思いがけないのだから事前に予期していないことになる。だが本当にそうだろうか。取るに足らない数多の記憶が積み重なっていくうちに、底のほうに深く埋もれてしまった大切な記憶。昔のことと思っていても、知らず知らずのうちに熱を放ち続けている感情。心はいつも、その欠けている部分を埋める運命の人を探し続けている。