前兆と運命、1Q84

 文庫本はあまり好きじゃない。ハードカバーの方が個人的な所有欲を満たしてくれる。文庫本を好まない理由はそれだけ。電車で出掛けたり、車に乗って移動した先では、文庫本は鞄への収まりがいいから便利なのは重々肌身に感じている。本は結構読むほうだと思うけど、気に入った本は案外少ない。気に入った本はハードカバーで持ちたいから、中古で買ったり人から借りて読んで、気に入ったらハードカバーを新品で買う。村上春樹の「1Q84」も文庫本で6冊、押入れで一時休止中だった。

 「1Q84」はハードカバーは持っていない。でも今読んでいる文庫本を最後まで読んだら手に入れようかと思っている。不思議な話だ。登場人物も個性的だ。個性的過ぎるかもしれない。 物語は首都高速で渋滞に捕まって動けないでいる個人タクシーの中から始まる。主人公は2人。珍しいと言われる苗字をしている女性。僕自身の苗字もあまり聞かないものだと思っているから、その辺りの描写は理解できる部分が多い。

 彼女は渋滞で時間を取られるより、高速道路脇の非常階段を使って目的地へ急ぐことを選んだ。タクシーを降りる時に、運転手が言い放った言葉が静かに尾を引いている。きっと物語の大きな鍵にでもなるかのように。彼女と対になるように、小説を書く青年が同じく主人公として登場する。小説を書く以外にも、従事している新人作家賞の素人からの応募原稿の中から不思議な一作に出会うことになる。2人の主人公に接点は全くない、今のところは。冒頭を読んでいる限りは、別々の場所で全く違う人生を送っているようだ。

 物事の前兆はきっといつもどこかで現れている。それに気付くかどうかは別にして。2020年に人類が現在のような苦境を向かえることになることを現実的に想像できただろうか。少なくとも数年前、オリンピックの開催地が東京と発表された瞬間に、誘致に尽力した人達が叫んだり喜んで抱き締めあったりしていた場面をテレビで見ていた僕は想像すらしていなかった。もちろん「1Q84」は小説でフィクションだから、現状とは何も関係ないのだが。

 小説で起こる事も、現実で起こる事も意味のないことはひとつもないと思っている。大切なことは、起こった出来事をどう捉えるか。どう受け入れるか、と言い換えることもできる。受け入れ難いことだってもちろんある。そしてもっと大切なことは、起こった事態に対してどう行動するかだ。小説の世界でも現実の世界でも、物事を動かすのは登場人物達の取る行動だ。思考は行動の為の助走のようなもの。選択と行動を繰り返しながら、人は生き続ける。物語の中でも現実の世界でも。

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