初めての「雪国」
昭和に発行されたとは思えない鮮やかで幻想的な表現、というのが川端康成の小説「雪国」を初めて読んだ僕の印象だ。最近の小説と比べると少し読みにくい部分もあるが、それでも小説自体は長くないので1日あれば読み切ることは難しくない。読み切れたが、1回読んだだけでは消化し切れない部分がたくさんあった。登場人物は多くないが、彼らの心の動きを追い切れていないので時間を空けてまた読み返したいと思っている。
今週末で終わる予定だった在宅勤務は、ゴールデンウィーク明けまで延長されることになった。電車通勤のことを思うと個人的にはとても安心したが、感染のリスクを下げる為に一部の店舗の休業が目立っている。致し方ないのは充分理解している。人命が優先なのだから。在宅勤務になってから人と直接会う機会も少なくなった。元々少なかった自分でもそう感じるのだから、普段仕事などで毎日人と会っている場合は余計に肌身に感じるだろう。
今日読んだ「雪国」は押入れから出してきた。しばらく前に買って読みかけだった本だ。しおりが冒頭から数十ページ目のところに挟まれていたが、前回読んだ時の内容を全く覚えていなかったので最初から読むことにした。冒頭の雪深い土地の描写が、浅田次郎の「鉄道員」と重なる。ただ厳しい冬の寒さの描写は「雪国」のほうがより幻想的な印象を抱いた。冷えて心も身体も固まってしまいそうなのに、なぜか列車の乗客を通して温もりさえ感じ取れるようだった。
ちなみに僕が読んだ文庫本には、本編の後に注解が数ページに渡って添えられている。作中に登場する難解な言葉や背景の解説が該当のページ数と一緒に掲載されている。最近の小説に慣れている自分としては、いつもの小説を読むリズムに乗ることができなかった。読み終えることを優先して、所々無意識で読み飛ばしてしまったところがあったかもしれない。読書は、運動と似ている。集中力をコントロールする必要があるし頭もそこそこ使う。そこが魅力でもある。
物語を深く解説できる自信はないが、印象に残った場面の話をする。「雪国」で僕が一番気に入っているのは最後の一文だ。「さあと音を立てて天の河が島村のなかへ流れ落ちるようであった」という表現。物語終盤に起こる出来事と合わせ、上空の星空と天の川の描写が頻繁に登場する。決して楽観的な出来事ではないが、それとは対照的に鮮やかな空の景色が浮かび上がる。
僕にはまだ難しい。正直にそう思った。経験が足りないのかもしれない。経験を積めば「雪国」をもっと深く読み込めるとは言い切れないのだけど。小説はフィクションだから、多かれ少なかれ想像力も必要だ。理解し難いものを理解しようと努めること。自分の中で湧き起こる感情は偽物ではないはずだから。人と会う代わりに僕は小説と出会う。