丸文字の育児記録
手元に一冊の育児記録がある。30年以上前に書かれた物だ。薄い水色のレザック加工された表紙は、擦れたように所々白く色落ちしている。表紙には銀の箔が形どられ、育児記録という文字が中抜きされて浮かび上がっている。下には生まれた病院名が金色で書かれている。汚れなのか、それともカビなのかくすんだ茶色のシミがたくさん付いてしまっている。月日が経つのは早いというけれど、母が書いた育児記録を眺める僕自身がもう父親になろうとしている。
今でも出産すれば病院でこういった記録用の本はもらえるんだろうか。妊娠したら母子手帳は必ず発行されるだろうけど、育児記録は病院によってはないかもしれない。結果的に僕は母の育児記録があってよかったと思う。胎内記憶という言葉を聞くけど、僕は少しも覚えていない。だから出来るだけお腹から出て来たばかりの自分の様子や、両親を含め世話をしてくれた人達がどんなことを考えていたのかを知ることができたらいいなと思っていた。
表紙をめくると、四隅をとめられた一枚の写真がある。目を瞑っている赤ちゃんが寝ていた。右手は閉じられ顔は少しカメラの方に傾いている。そこには僕の名前の由来が父親の几帳面な字で書かれていた。次のページには生まれた前日の母の詳しい様子が書かれている。生まれる時間は個人差があって、夜に生まれる子もいれば昼間に出てくる子もいる。僕の場合は前日の夜遅くに母のお腹が痛み出して、生まれたのは6時間くらい経ってからと書いてあった。
次のページには、担当の医師と助産師の名前も書かれている。ここも父の達筆で記されている。きっとお世話になった先生方に会うことはないんだろうけど、このページを見るだけでも少なくとも家族以外の2人の大人が関わってくれたことがはっきりと分かる。そしてなぜかページの下には世の中の出来事について記入する箇所があり、歌手の森進一と森昌子が結婚式を挙げたことや(確認のしようがないが挙式費用3億円の記載も)、松田聖子が女の子を出産したことも書かれていた。
更に数ページ先には、当時両親が暮らしていた家の家賃や給料、そしてまたまたなぜかガソリンやタバコの値段が書かれている。ガソリンは108円、タバコはマイルドセブンの価格だ。どうしてマイルドセブンなんだろう。父がタバコを吸っているのは一度も目にしたことはないが、子どもができるまでは喫煙習慣があったと話していた。
こうして毎日ブログを書いている。自分が生きた軌跡を残したいと思って。ブログを書き始めてからまだ3ヶ月弱だけど、僕はそれよりも前から30年以上生きてきた。記憶として思い出せるのは、5〜6歳くらいから。それよりももっと前に生まれたのに、だ。不器用な母なりに書き残してくれた育児記録。それを読むことで少しでも与えられた命の尊さを噛みしめられたら。過去にも未来にも寄り掛からないと言いながら、自分という人間をもっと知りたいと思う。きっともっといい人間になれると信じているから。