山猫軒

 男達は森の中を彷徨っている。一緒に連れて来た2匹の犬は泡を吹いて死んでしまった。その割には呑気に帰りの話をしている。せっかくの狩りも獲物が見当たらないのでは仕方ないと。死んでしまった犬の損得勘定をしながら、空きっ腹を満たせないかと考えている。2人が迷い込んだ場所はどうも人ならぬものの気が満ちているようだ。けれども2人は死んでしまった犬ほどは怯えていなかった。山猫軒という奇怪な西洋料理店が現れるまでは。

 宮沢賢治の「注文の多い料理店」の話。迷って疲れ果てていた男達の前に突如現れた料理店の名が山猫軒だ。遠慮しないで、と書かれているのを鵜呑みにして2人は飯にありつけると安心し店内に足を踏み入れる。注文が多いのはご容赦ください、と注意書きまでしてある。料理店で注文が多いと言えば、提供する品数が多いとかテーブルマナーが厳しいとかそんなところだろう。初めて読んだらきっとそう思う。

 部屋に進んで行くと身なりを整えるように指示があった。道具まで用意されているようだ。2人がその対応に感心していると、整えるのに使ったばかりのヘアブラシがふっと消える。ようやく2人も何か普通ではないことが起こっていると気付き始めたのかもしれないが、それでも期待も持って先の部屋へ進む。身なりを整えるだけならまだしも、上着や靴、金物などのアクセサリーまで外させるとは相当のマナーの持ち主だと2人は感心した。

 考えてみると、男達がいるのは西洋料理店だ。靴を脱いで食事をするなんて聞いたことがない。身に着ける物だってドレスコードを考慮すると、アクセサリーはむしろ外さないだろう。財布や貴金属までというのだから、もしかして店の主人は何か悪いことでも企んでいるんだろうか。謎は益々深まり、男達への要望は益々奇妙になっていく。

 身に付けていた上着や小物はほぼ全て取ってしまった2人に、今度は壺に入ったクリームを身体に塗るように指示される。もうここまでくると、店側の目的が何なのかよく分からない。半信半疑ながら2人はその指示にしたがってクリームを塗ることに。しかも小瓶まで用意して塗り残しがないように促す徹底ぶりだ。そもそもこの時点で、注文は客から店にするはずなのに立場が逆転してしまっていることに気付くはず。そして次の指示の中には、すぐたべられます、という文言が含まれていた。

 お酢のような液体と、仕上げとでもいうべき塩が用意されているところで、男達はようやく理解した。自分達は料理を食べる客ではなく、料理として食べられる側だったということを。すぐたべられます、というのは、あなた達はもうすぐ食べられてしまうという意味だったのだ。2人を待ち構えていたのは森の怪物なのか。山猫軒というくらいだから虎のような大きな猫かも。

 物語冒頭で死んでしまった犬と、恐怖に震え上がる男達を助けに来た犬は同じ犬なのか。そもそも犬は死んでおらず、2匹が死んだところから夢だったとも考えられる。男達の前に現れた時と同じように、突然消えてしまった西洋料理店。周囲に散らかった身の周りの品だけが、2人に起こった不思議な出来事を物語っている。

 男達は身も凍る恐ろしい夢を見ていたのかもしれない。あまりの空腹に気を失っていて。恐怖は夢も現実も区別しないから。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

読書

前の記事

「やまなし」
読書

次の記事

「セロ弾きのゴーシュ」