「やまなし」

 プールの底に仰向けで潜って静かに手足を広げている。手は八の字に動かして身体が浮き上がらないようにする。口の中に目一杯空気を溜め、短く強く吐く。玉を口の中で作ってそのまま外に出すイメージ。空気玉がその輪郭を揺らしながらゆっくりと上っていく。少しずつ平らになって最後はドーナツ状の輪っかになって水面にぼわっと姿を表す。水中からの景色は、宮沢賢治の「やまなし」の幻燈に似ているかもしれない。

 昨日紹介した宮沢賢治の童話集。その中に「よだかの星」と共に「やまなし」は収められている。小学校の教科書にも載っていて、宿題でよく音読した。クラムボンという呪文のような、意味がはっきり分からない言葉が妙に気になる。口に出してみると何だかくすぐったい。蟹の兄弟が冒頭から会話するのだけど、クラムボンとしか言わない。蟹がいるのは水中だから、他の生き物の名前かもしれない。

 クラムボンは笑っている。笑っているなら蟹の仲間かもしれない。でもきっと蟹の兄弟は水面を見上げてるから、その可能性は低い。兄弟が話をしている間に、クラムボンの様子が変わったようだ。魚が通り過ぎるとクラムボンはもう笑わない。魚よりも小さいか、あるいは水中の生態系で捕食されるのがクラムボンとも言える。冒頭の蟹の会話から想像できる不思議で可愛らしいイメージだったそれは、次の場面で静かに確実にリアルな生命の躍動を引き出す。

 頭上を通っていった魚が戻ってくる。その直後に、輪郭を少し現し始めた自然の摂理が明らかになる。水面に突如現れたかわせみの尖った口ばしが蟹の兄弟の目の前で魚を捉えた。正確に言うと魚を取って食べたとか、魚は食べられて死んだという直接的な説明はない。しかし蟹達は身震いしている。蟹の父親が魚を連れていったのは鳥だと教えてくれたけど、言葉以上に兄弟は目の前で起こったことに怯えていた。消えた魚に起こった出来事と自分達との繋がりを感じずにはいられないというように。

 若葉を付けた木々の花びらが水面に浮いた時期から、季節は凍てつく冬になった。季節の移り変わりに合わせて水中の景色も変化し、蟹達も成長していた。月明かりがあまりにも綺麗な夜だから、蟹の兄弟は寝ないで水面を見つめている。クラムボンはいなくなってしまったんだろうか。冬の冷たい水の中では生きられないのかもしれない。蟹達が前よりも少し大人になったから見えなくなったんだろうか。目の前で魚が消えてしまったあの春を境に。

 物語のタイトルにもあるやまなしは、蟹の兄弟のいざこざを父親がなだめている時に落ちてくる。勢いよく一旦沈んでゆっくりと水面に浮かぶ。親子に追いかけられながら、やまなしはその匂いを放って水に流される。木の枝に引っ掛かってじっとしてしまったやまなしを残して親子は帰っていく。食べ頃になるであろうやまなしを思いながら、親子は巣穴に戻る。今度来る時は、きっと蟹達はやまなしを食べに来る。

 やまなしの命はとっくに尽きていたのかもしれない。どうせ消えてしまう命なら、自分を食べる生き物が精一杯生き長らえることができるようにせめて美味しくなろうと待っているのか。やまなしは蟹の腹を満たし、蟹を生かし続けて、蟹の命になって生き続ける。

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