大丈夫だぁ、と信じる

 こんなタイトルは不謹慎か。そう思われてもいい。死者を弔う唯一の言葉なんてこの世にあるだろうか。昨日の寒さがまだ尾を引く3月の朝。朝食を食べて在宅勤務の為にパソコンの電源を入れる。テレビは付けっぱなしだった。仕事を始めてすぐのことだった。テレビ画面上部に速報で、志村けんさんが亡くなったと報じられた。言葉がない、という表現はこういう時の為にあるのかもしれない。

 家族全員がまだ実家で暮らしていた頃、夕食後に皆でバカ殿をよく見ていた。特に父はずっと志村けんさんのコント番組が好きだった。バカ殿以外にも彼がコントで扮したお馴染みのキャラクターがいくつもある。バラエティ番組でも時々その姿を見ていたし、昔のコントシリーズが復活して特番で放送しているのも知っていた。

 志村けんさんと言えば映画にも出演している。高倉健さん主演の「鉄道員」だ。けんさんは幼い息子と2人で出稼ぎに来た父親役。炭坑夫として働いており、ある日居酒屋でいざこざを起こす。その場に居合わせた健さんと小林稔侍さん扮する駅員達が間に入って事をなきを得た。日頃の鬱憤を晴らすように酒に浸る。ベロベロに酔っ払った彼は駅員2人に抱えられながら家まで送り届けられるのだった。後日、炭鉱の事故に巻き込まれ息子を残して亡くなってしまう、という役どころだ。

 出演の際には、お笑い番組のファンだった健さんからのリクエストもあったとか。そして近々、生涯初の主演映画の撮影を控えていたが、辞退することになったそうだ。皆が回復を願っていた中での、突然の訃報だった。

 命は皆平等にひとつずつ与えられる。芸能人も、そうじゃない人も同じように。重い命や軽い命なんて言い方はできない。なぜなら人間は、生き続ける過程で関わってきた人達の思いや、その個人の生き方によって形作られる。結果的に命をどう扱うか、扱われるのかは皆同じとは言えない。そこに更に主観も客観も入り混じってくるから、一概にはこうだと言えない。軽んじてはいけない、ということだけははっきり言えるのだけれど。

 元気な姿を見せてほしいとどれだけの人が願っていただろう。僕もそのひとりだった。一番悔しがっているのは志村さん本人だということは間違いない。志村さんだけではない。今回の感染症が原因で世界中でたくさんの人達が命を落としている。昨日のブログで、本当に求められているのなら潰れないと書いた。間違ったことだとは思っていないがひとつ、戻らないものがあった。 命だ。どれだけ悔やんでも死んでしまったら戻らない。命は戻らない。

 健さんにも、けんさんにももう2度と会うことはできない。少なくとも僕が生き続けている限りは。でも僕は生き続けたいと思う。1,000の言葉よりも僕達が健康に生き続けることが、叶わずも生き続けられなかった人達への供養だと信じている。志村けんさんのご冥福を祈る。

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