本当に求められているなら、潰れない
前日から降り始めた雨は、明け方に雪に変わっていた。風も止んで大粒の雪が静かに降り続けていた。玄関横に掛けられ出番のなかった厚手の上着を今日は着よう。外の寒さとは対照的に、エアコンの効きがいいのか部屋がとても暖かいことに気が付いた。設定温度は昨日の朝から変えていない。夕食の買い出しに行こうとすると玄関の呼び出し音が鳴った。荷物が届いたんだろう。ヤマトの人がダンボール箱をかついできた。もうすぐ生まれる子どもの為に家族が服を送ってくれていた。
バラエティ番組を見ていたら、「パラサイト 半地下の家族」でアカデミー賞の作品賞を受賞したポン・ジュノ監督が出演していた。普段ほとんど韓国映画を見ないので、監督のこれまでの作品を詳しくは知らない。映画について色々と質問されていた監督が言っていたことがとても印象的だった。撮影時間を定時にして、出演者やスタッフの負担を和らげるようにしたという話。働き方改革という言葉を使って。
僕が知らないだけかもしれないが、日本の映画監督で「働き方改革」と言ってスタッフや、出演者達の拘束時間や精神的肉体的負担を一定にするといった取り組みをしている人はいるだろうか。仮に世相に合わせたパフォーマンスであったとしても、多くの人が視聴するであろうテレビ番組でそういった発言をしている場面を僕は見たことがない。
知り合いが舞台芸術関係の仕事をしていて、どんな様子で働いているかを時々聞く。毎回ではないが、夕方に仕事に向かってその日中に終わる予定だった撮影がどんどん長引き、結局終電が過ぎ始発も動き出した後に帰宅することもあるそうだ。近しい人間がもしそのような働き方をしているのをそばで見ていたら、僕は不満を口にせずにはいられないだろう。
舞台芸術関係の仕事が大変な状況だというのは色々なところから聞こえてくる。お客さんが劇場に足を運んでくれないことにはチケットが売れないし、費用が回収できないこともわかる。演劇を含めた芸術に触れることで、感性を刺激し日常生活では得られない感情体験や、明日への生きる活力になったり、演劇のメリットは観賞する人の数だけあるだろう。芸術に触れる場がなくなってもいいなんて思っている人間がいるだろうか。潰れるところは潰れてしまえ、なんていう流れは日本のどこにあるのか。誰かがそういうことを言いふらしているんだろうか。そういう言葉を使うことが、僕は芸術への敬意を欠いているとしか思えない。
一時的でも人が集まる場所を閉鎖することで事態がいい方向へ向かうなら、それも致し方ないことだ。演劇だけが、人間にとって唯一の崇高な芸術ではないのだから。民主主義という言葉は使わない。本当に求められているのなら、人はまた戻ってくると信じている。そんなに簡単に感染症だからといって、芸術を人間から取り上げることなどできない。そしてその芸術は、人間の命あってこそのものだ。