「アンダーグラウンド」、僕の一部
「いってらっしゃい」と送り出す。その言葉が、大切な人と交わす最後の言葉になるかもしれない。「もし自分がいなくなったら」と冗談混じりに告げたら、もう2度とその手に触れることはないかもしれない。これを書いている僕にだって、起こり得ることだ。1995年の3月、東京の地下鉄に乗った多くの人達の運命が交差し、狂わされた。その事件のことを見聞きして無条件に忌み嫌っている間に、大切なものを知らず知らずのうちに明け渡してしまったんだろうか。
昨日も少し触れた。村上春樹の「アンダーグラウンド」。文庫本で700ページを超える。先月購入して読み始めてから、つい1時間ほど前に読み終わった。村上春樹の著書はいくつか読んで、自宅にもハードカバーの単行本を所有しているが、それらの小説と「アンダーグラウンド」では一線を画す。1995年の地下鉄サリン事件について、著者が独自に、被害者を含めた60名近くの方に行ったインタビューの記録である。
1995年は僕はまだ小学生。ニュースを見て全国で何が起こっているかをチェックする習慣はほとんどなかった。それよりは、コロコロコミックの付録や、ポケモンの話題のほうがよっぽど気になっていた。子どもでなくても、どれだけの人が関心を持っていただろう。もっと言えば、誰だけの人が事の真相を知ろうとしていただろう。テレビや新聞から発せられる情報を鵜呑みにせず、本当は何が原因で事件が起こったのかや、自分の事に置き換えて考えてみることをしただろうか。
「アンダーグラウンド」を読んだのは今回が初めて。正直一度読んだだけではよくわからない部分もあった。読むペースが少し早かったのかもしれない。ただ何度も読み返そうと思う。サリン事件は、単純にひとりのカリスマ的なリーダーがいて、彼に従い洗脳と言われるまでに陶酔していた多くの人達で構成されたグループの犯罪、という表面上の形だけで語れる話ではなさそうだ。テレビや、新聞報道だけではわからない本質の一端が垣間見える。
僕は不完全な人間だ。欠点ならいくらでもある。きっと自分では気付いていないところもあるだろう。だからといって、他の誰かに成り代わって生きることもできない。少なくともこの命が尽きるまでは、この肉体と心で生き続けるしかない。そうするしかないと言ったが、決して後ろめたい気持ちではない。よりよい人間でありたいと思うことはできる。その為に試行錯誤していくという選択肢もある。限りある人生で、自分の伸び代があると信じて、それを最大限まで生かしたい。
自分の頭で考えること。本質が何かを問い続けること。支え合うことと、傾倒して言われるがままでいることは違う。取り返しの付かないことは世の中にあるから、一度逝ってしまったら2度と戻らない命があるから。