3月の雪、東京の春

 村上春樹の「アンダーグラウンド」を午前中から読み耽っていた。先月に購入してから少しずつ読み進めていたが、今週末で読破できそうだ。東京の地下鉄でその事件が起きたのは3月のことだった。当時僕はまだ地元にいて、今こうして東京に住んでいることなんて全く想像していなかった。遠く離れた日本の首都で、何か事件が起こったくらいの認識しかなく、その実情を知ったのは随分後のことだった。今日、昼過ぎから窓の外では冷たい雪が降っている。1995年も、冬の去りきらない冷たい3月だったんだろうか。

 僕が子どもの頃、地元では冬になると結構雪が降った記憶がある。小学校が近くにあって、校庭一面が雪に覆われていたほどだ。地域的にはそこまで雪が多いわけではないが、小学生の僕の膝くらいまでは余裕で積もっていたはずだ。学校は冬休みなので、妹と近所の友達と一緒に遊びに出掛けた。僕が雪遊びに夢中になっている間に、妹がトイレに行きたくなったらしく泣いていたそうだ。一緒に遊んでいた友達が家まで妹を連れ帰ってくれた。何とも薄情な兄だと思う。

 実家の裏が当時は空き地になっていた。雪だるまや、小さめのかまくらを作るくらいは充分に雪があった。ちなみにかまくらの大きさは、お尻がやっと隠れるくらいなので中に入ってどうこうはできない。まさに尻隠して頭隠さずだ。

 雪と言えば、家族でスキーにも出掛けた。長野県のスキー場まで父の運転で向かった。父は元々出身が長野県なので、若い頃からスキーを楽しんでいたそうだ。幼い僕を祖父母に預けて、母ともよくスキーに出掛けていたらしい。しかもまだ生後間もない頃だったから、祖父母にもかなり面倒を見てもらったんだと思う。スキー場の傾斜は下から見ると、あまり角度が付いていないように思うけど、いざロープウェイで上まで移動すると結構急に見えて、滑り出したはいいが途中で自力で降りられなくなったことがある。要はあまり得意ではないのだ。

 スキーもしばらく行っていない。おそらく20年以上やってないと思う。機会がないというのも理由だが、あまりスキーが好きではないと思う。スノーボードには挑戦してもいいかなとは思っている。

 夕飯の買い物に出掛ける頃には、外の雪は止んでいた。数日前には、東日本大震災が起こった節目の日がやって来た。そして来週には、かつて東京の地下で起こった事件の節目も向かえようとしている。前述の「アンダーグラウンド」を読み進めながら、身近ではなかった東京で起こった出来事に一体どんな意味があったのかを考えている。タイムリーに直接の関わりがなかったからこそ、逆に知っておかなければならないと思った。

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