イタリアの「鐘」、人間の可能性
たった一度の曲との出会いを機に、彼は7年間をピアノに費やし、見事に最後まで演奏しきった。YouTubeを何気なく見た。バラエティ番組に出演していた50代の漁師の男性が、フジコ・ヘミングさんの演奏する「ラ・カンパネラ」を聴き、どうしても自身で曲を演奏したくなったそうだ。
それまで彼には、ピアノの演奏経験がなかった。独学で、最初は指1本で鍵盤を叩くところから始めた。7年間も練習を続けて、フジコ・ヘミングさん本人の目の前で演奏する機会を得た。演奏前にフジコさんに会うことになるが、感動のあまり彼の満面の笑顔には涙が溢れた。とても嬉しそうだ。
いよいよ実際に演奏を聴いてみる。僕は今まで進んでクラシックを聴いたことがなく、「ラ・カンパネラ」という曲の背景や演奏難度を詳しく知らない。しかしフジコさんの演奏を聴くと、確かに素人が時間を掛けただけで演奏ができるようになるとはとても思えない曲だった。プロのピアニストでも難易度は高いらしい。鍵盤を端から端まで使うようなダイナミックさが魅力とのことだが、それがかえって演奏を躊躇させてしまうこともあるようだ。
フジコさんと、男性の前にピアノが置かれている。フジコさんが隣のピアノの椅子に座っている中、演奏が始まった。指1本で叩くところからスタートしたとは思えないほど、彼の演奏は滑らかだった。費やした時間と、曲への思いが音の端々から漏れ出ているようだ。演奏を終え息を整える彼に、フジコさんは称賛の言葉を送った。
彼と同じことが、僕にできるだろうか。年齢的には、僕はまだ30代だし今から7年間練習したらひょっとするかもしれない。いや、そんなことは起こらない。なぜなら、若さだけあれば達成できることではないからだ。7年という時間の中で、何度も失敗して、初めて聴いた「ラ・カンパネラ」のイメージを思い浮かべながらも大きな差があることを知る。それでも練習し続ける気持ちを保つことが一番の難関であるはずだ。
今日は3月11日。9年前の今日、東日本大震災があった。当時は実家にいたけど、数年経って東京に出た。働き始めると、職場の同僚に東北地方出身の人もいて、震災当時の話を聞かせてもらう機会があった。地元に帰って避難所を何箇所も巡り、家族の安否を確かめたそうだ。当時よりは被災地域の経済はいくらか盛り返しているとは言え、まだ完全に元通りとはいかない現状がある。
僕は、自分に出来ないことや、足りないものばかりを考えていた。50代になって、今まで全く縁のなかったピアノに挑戦する人。震災後も苦しみながら懸命に生きていこうとする人々。僕には行動する体力もあり、日常生活も何不自由なく送れている。躊躇する理由などあろうはずもないのに。
「ラ・カンパネラ」は、フジコさん以外のピアニストも演奏する。同じ曲を演奏していても、印象がずいぶん違う。テクニックのことは分からないが、演奏する人の心の持ちようや曲に対するイメージが浮かぶようだ。「鐘」の音のように、ピアノの音が空気を震わし祈りにも似た思いが耳から入って身体中を駆け巡る。その感覚に付ける名前が思い付かない。ただそれは間違いなく素晴らしいものだ。夢を称え、人間の可能性を願う。