トイレットペーパーじゃないと、拭けない
ウォシュレットでは、綺麗になっていない気がする。紙で何度もこすると時々痛い。家でウォシュレットは使える。紙でも拭ける。ドラッグストアやスーパーでトイレットペーパーが中々買えない今でも、僕は紙で拭きたい。この間買ったばかりだと思っていたら、もう数える程しかトイレットペーパーが残っていない。後5ロールだ。週明けの月曜なら、さすがにどこかで買えるだろうと期待したが、そううまくはいかない。
トイレットペーパーが買えなくなる、という嘘の情報が流れたそうだ。どこの誰がそんなことを言ったのか確かめようがない。確かめたところで商品が突然店に現れはしない。だから誰の責任にもできない。あえて言うなら、そんな事態を見越して何とか手に入れようとしなかった自分の落ち度か。ドラッグストアの開店前から、列を作って並んで購入する人達もいるらしい。知り合いに聞くと、実際に並んで買ったりあちこちの店を探して回ったりしているとのこと。
ほとんどの人にとってトイレットペーパーは生活必需品だ。極力切らさずに過ごしたい。僕も含め、頃合いを見計って定期的に買い足すのはごく自然なことだ。だからと言って、今まで開店前から列を作って並んでまで買ったことはなかった。なぜなら一気に店頭の在庫がなくなることがなかったからだ。しかし生活を維持する為に必要なトイレットペーパーを手に入れる方法が、それしかないのなら致し方ない。それはわかる。と同時に、誰かの嘘の情報によってそうせざるを得ないというのは、個人的にはとても複雑な気持ちだ。
それはそうと、生活の糧には代えられないのだから、誰かが無料で配るわけでもないし、手段は選んでいられないというのも一理ある。僕が生まれる前に、オイルショックと呼ばれる現象が起きたそうだ。当時も、トイレットペーパーが失くなるという真偽の定かでない情報が飛びかったおかげで、人々がトイレットペーパーを買いに店舗へ殺到した。
それから現在まで、既に30年以上の時間が流れている。当時よりも、見聞きする情報が確かなものかどうかを判断する方法は色々とあるように思う。専門家でなくとも、どこの誰がそれを発信していて、何者なのかくらいは調べられるだろう。確かめようとした人もいると信じたい。その上でトイレットペーパーを買う買わないは個人の判断だが、本当にその時どうしても買わなければいけなかったのか。その根拠はどこから来たのか。僕も含めてよく吟味するべきだった。
それでも生活の糧には代えられない、と言われれば何も言い返せないのだが。
明日は午前中の早い時間に、ドラッグストアに行ってみようと思う。買えないかもしれないが、ひとまず直近で使う分は何とか確保できている。余計なものはすっきり出し切って、本質だけをしっかり見つめて生きたい。