学校の先生、思い出たち
給食室に昼食を取りに行った帰り、教室に戻る時は駆け足だった。慌てて教室に飛び込んだら、机の角につまづいて思い切り額を打ち付けてしまった。足元を見ると、ぽたぽたと赤い血が垂れている。きっとそれが初めて見た自分の血液だったと思う。一瞬、誰の血なのか分からなかった。痛みがほとんどなかったからだ。その後、担任の先生が付き添ってくれてタクシーで病院に向かった。小学校低学年だった僕は、先生の膝枕で身体を横にしながら車に揺られながらじっとしていた。
小学生の時、体育館を暗くしてキャンドルに皆で火を灯す行事があった。僕らのクラスの数人がそのキャンドルで遊んでいたらしい。行事が終わって教室に戻ると、担任の先生はキャンドルで遊んでいたことを注意しながら「そんなことを教えた覚えはない」と言って教室を飛び出してしまった。教室内の誰もが、どうしていいか分からなかったと思う。考えるまでもなく、先生だって人間なんだ。完璧な人間ではない。むしろ教え子の前で素直に感情を見せるなんて、生徒よりよっぽど人間らしいじゃないか。
中学生の時には不登校になった。所属していた部活の先生が、ある日作文を持ってきてくださった。その作文は、当時の部員が僕が不登校になったことについて思うことを書いてくれたらしい。もう15年以上前のことだから、内容は覚えていない。本当は作文なんか、あってもなくてもどっちでもよかった。僕が先生に求めていたのはきっと、少しでも僕の側に立って味方になってくれることだったのかもしれない。
高校の先生には、色々と話を聞いてもらった。中学の時の不登校のこと、進路のことや生き方のことまで。相田みつをの書籍を紹介してくれたのも高校の担任の先生だった。実際に数冊を自分で買って、何度も読み返した。修学旅行で作った焼き物のプレートには、自分で創作した相田みつを風の言葉を描いた。卒業の時も先生は多くを語らず、優しく、しかしとても力を込めて送り出してくれた。ありがとう、先生。
僕がこの先、学校の先生になることはないだろう。僕は自己中心的なところがあるから、ひとつの教室にいる数十人の生徒をまとめるなんてできそうにない。先生と生徒の違いは何か。スイミングスクールで、子どもに教えている時に考えていた。先に生まれる、と書いて「先生」だが、生徒より早く生まれた人、少なくとも僕の場合はそれくらいの違いしかないなと感じていた。生徒から教えられることや、気付きを与えられることがたくさんあったから。思い返すと、僕がこれまで関わってきた先生と呼ばれる人達は、みんな優しかった。こちらの話をまずは聞いて、助言もしてくれたけど、最後は僕の意志を尊重してくれたと思う。
当時は先生に対して、気に入らないことや素直になれないこともあったかもしれない。けど今は、今の僕をつくってくれた大切な一部になっていると胸を張って言える。