君は桃の節句か、端午の節句か

 3月3日と言えば雛祭り。雛人形を飾りお祝いで豪華な食事をしたり、どこかに出掛けたりして年開け後の大きなイベントと捉える人もいるだろう。妻のお腹にいる子どもの性別はまだ確定していない。というか、前回の検診では、エコー画像でそれらしきものが付いているのが見えたが、次回に持ち越しましょうと担当の先生もおっしゃったので、今のところ性別は未定となっている。

 身内には姪っ子が多く、彼女達と遊んだりしながら、性別の手がかりがないうちは女の子だったらなと想像を膨らませていた。妊娠がわかるまでは、子どもは授かりものなんて言っていたくせに、いざ子どもができると性別も自分の思った通りになるような気がしていた。全くもって親のエゴだなと、子どもに申し訳ない気持ちになる。ごめんね。

 最近はお腹に手を当てると、妻の息遣いに合わせて上下するお腹の動きとは明らかに違う感覚が伝わってくるようになった。朝、仕事に行く前にはお腹に向かって「行ってくるね」と言い、帰ってきて筋トレを始める前には「ただいま」を言う。僕の声に反応しているのかどうか定かではないが、お腹の中から小さな身体でピクピクと合図を送ってくる。ここにいるよ、と教えてくれているんだろうか。ちなみに、活発に動いていても、僕が声をかけると静かになることがほとんどだ。

 僕が実家にいて小さかった頃は、庭に鯉のぼりのポールを立てる為の基礎が設置されていて、平家の屋根より高い支柱を差し込み鯉のぼりを流した。まさに「屋根より高い鯉のぼり」だ。鯉のぼりと合わせて、玄関を上がってすぐのところには立派な金メッキの兜を飾っていた。兜には模造刀が添えられていたので、よくその刀を鞘から抜いてチャンバラの真似事をしたりしていた。あぶない。

 雛人形も、兜も今の家は狭くて飾れそうにない。ましてや鯉のぼりなんて庭がないし不可能に近い。それより、小さくてもいいから紙粘土なんかを使って、オリジナルの節句の人形を飾るのはどうだろう。手や顔を汚しながら、楽しくできるだろうか。紙粘土で形を作るには、手が小さ過ぎるかもしれない。

 性別の産み分けについて検索すると色々と情報が出てくる。生まれてくる子どもの性別を産み分けることを否定するつもりはない。事情は皆違うのだから、性別をコントロールすることが必要な場合だってあるだろう。僕の場合は、特に性別がどちらかでなければならないことはない。そう言葉では言っても、周りの環境や他の子どもと関わる中でこうあればいいなと思うことはあった。

 子どもを授かって、父親になれることだけで僕に取っては既にギフトなのだから、性別がどちらになるかは天に任せようと思う。この世界はまだまだ理想郷とは言い難いけど、母さんのお腹はあったかくて気持ちいいだろうけど、父さんはここで待っているよ。

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