芸術は、命より尊いのか
スポーツも、演劇も、観客がいなくても物理的に身体を動かしたり芝居をすることはできる。スポーツイベントは観客がいなくても成り立つ、というのはスポーツに対する敬意を欠いているように思えてならない。スポーツも演劇も、それを自分の目で直接観ることを楽しみにしている人達が大勢いるのだから。スポーツは中止にして、演劇は中止にしてはならないということなのだろうか。僕には理解できない。
世間を騒がしている感染症対策について、ある舞台関係者が意見したというのをニュースで知った。僕は都内に住んで、同じ都内の会社に電車で通勤している。日本での感染者が増え出す前と比べると、朝の出勤時も、帰宅する時も電車内の人が少なくなったと思う。マスクをしている人もずいぶん多くなった。職場でも、在宅勤務になるかどうかという話がなくはないが、今のところはっきりいつからとは決まっていない。
僕は専門家ではないが、毎日のニュースを眺めて、自分と家族を守る為にできることはないか考えている。ありきたりだが、しかしおそらく最も基本的な手洗いうがいだけは、極力忘れないようにしている。それでも、もしかしたら明日急に在宅勤務になったり、自分が感染してしまうことだってあるかもしれない。生計を脅かすことにだってなりかねない。あらゆる業種の人達が同様の不安を大なり小なり抱えているはずだ。それは何も演劇関係者に限ったことではない。
そもそも、今回「要請」であって「命令」ではないのだから、皆がそれぞれリスクを考慮しつつ判断するべきことのはず。意見は皆違うから、判断したことに対して良くも悪くも結果が伴う。万が一感染源が特定された時は、イベント主催者も何かしら是非を問われるかもしれない。たった一度開催したそのイベントによって、その後多くの関係者が露頭に迷うことになるとしたら、とても哀しいことではないだろうか。
春からサービス提供開始されるという5Gに注目している。電磁波の問題や、技術的な課題など、リスクが全くないわけではない。ただその新しい通信インフラの持つ可能性に期待したい。5Gのインフラ整備が進めば、各種イベントに様々な事情で直接参加できない人達でも、自宅などで楽しめるような映像体験を提供できるかもしれない。オフィスワークと在宅ワークの垣根が取り払われ、新しく自由なスタイルで人々が働く未来も遠くないと思っている。現在起こっている未知の感染症などにも、これまでとは異なった方法で対処する為のツールになり得るだろう。
僕は人間の力を信じている。種火を持つ人間がいる限り、希望は消えない。形あるものはいつか消えてしまうけど、目に見えない繋がりを紡いで僕らは生きてきた。本当に大切なものは、もう手にしているのだから。命あるかぎり薪をくべて、火を起こし続ける。