4月1日だけに

 在宅勤務は無期限になり、この先僕が通勤電車に乗ってオフィスに出社することは無くなる。同僚や上司と話をするのは、常にパソコンの画面を介して行うことになる。自分が働く時間の長さは自分で決められる。働く場所は自宅だけとは限らない。一番リラックスできるのは自宅だけど、気分転換したい時には、別の場所でパソコンを開くことも問題ない。インターネットさえ繋がっていれば、屋外でも仕事はできる。天気の良い日には芝生の上で、昼食もそのままそこで広げて食べる。でも画面に太陽光が反射して見辛くなるから、日陰を選ぶことにする。コーヒーは昔から飲まないから、お茶かミネラルウォーターを傍に置いておく。誰かにノルマを決められているわけではない。時間の使い方は自分で決めている。

 去年の3月から始まった在宅勤務は、今のところ期限付きになっている。無期限になって欲しいとはずっと思っているけど、会社はそうは考えていないみたいだ。朝早く起きて乗り込んだ電車も、使う機会がめっきり減ってしまった。全く乗っていないわけではないが、通勤の為に改札を通ることは1年以上行っていない。iPhone内のSuicaで使っていた定期券は、とっくの前に期限が切れている。ただのSuicaとしてなら、買い物をしたり電車で近場に出掛ける時に使っている。財布を出して紙幣や硬貨のやり取りをしなくて済むから、時間も節約できるし安心感もある。ポケットに問題なく収まり、さっと取り出すことも可能だ。iPhone1台で食事や日用品の買い物も大抵済ませられる。

 オフィスに出社することはないから、同僚や上司に会うのがパソコンの画面上になるのは不自然なことではない。文字だけのやり取りでは情報量が少な過ぎる。かと言って直接会って話をするのも状況にそぐわない。お互いの移動時間分を削ることができるし、実際に対面するよりも少しは緊張感が和らぐと思う。僕は正直和らいでいる。妻と息子以外で、今どうしても直接顔を見たいと思える人が思い付かない。会えるのならばそうしたいが、相手も細かな状況は違えど耐え続けていると思えば、待ち続けることは不可能ではないし無意味でもない。一定の時間働くというルールの中で勤務しているけど、時間の長さは全員一律でなくても良いと思う。長い時間働いたからといって、右肩上がりに収入が増えるとも限らない。

 働く場所を自由に選ぶことは許されていない。カフェを転々としながら、ラップトップを広げて作業ができればと思う。でもカフェに行けば、そこには仕事とは関係ない人達がいる。パソコンには彼ら彼女らに見られたくない情報も詰まっている。それらの情報は僕個人のものではないから、漏れてしまうリスクを犯せないし、犯させたくないという理屈も分かる。でも同じ場所、そして同じ姿勢でキーボードを叩き続けることは楽な作業ではない。単調な作業を繰り返していると、手を動かし続けているはずなのに自分の身体が止まっているような感覚になる。集中していたはずなのに、他のことが気になり出して神経質になったりもする。僕自身が対価が発生する仕事を生み出していくしかなさそうだし、会社に寄り掛かり続けることもしたくない。

 皆が寝転がってパソコンを広げたり、運動を行えるような広い芝生は下北沢には見当たらない。フィットネススタジオやトレーニングジムは何店舗か見かけるけど、屋外で大々的にやっている場面に出会したことは今のところない。5GがiPhoneで繋がることはほとんど無いし、家の Wi-Fiは当然自宅から離れると電波が届かない。屋外で、自宅と同じような通信環境で作業をするのはまだ難しいのかもしれない。そうだったら良いと思っていることを書いたつもりだけど、そんなに派手なことを考えているのではないんだなと自分で気付く。遠くない未来に、意外とあっけなく実現しているかもしれない。

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