握ったら、鳴らない

 弦が切れる時はいつも突然だ。弾き続けているとささくれのように、表面が細かく裂け始める。僕は好き好んで食べないけど、例えて言うなら裂けるチーズのようだ。その状態でも音が出ないわけではない。指で弾けば鳴らし続けることはできる。でもいつまでもできるわけではない。遠いか近いかは別にして、いつかは切れる時が来る。弦のささくれを指先で掴んで引いてみたこともあった。裂けているのはほんの少しなのに、引っ張るとどこまでも裂け続けてしまうような不思議な感覚だと思う。音は鳴らせるけど、音程が少し変だと感じることもある。きっと裂けることで弦の直径が変わり、音程がずれてしまっているんだろう。いつもと同じように弾いているつもりでも、曲が全く違って聞こえることも少なくない。

 楽器屋でウクレレを購入した時に、一緒にもらったケースが押し入れの中に置いてある。初めて買ったウクレレと、その次に購入したウクレレも同じくそこに置いてある。一番手前の一番大きなケースを手に取ってファスナーをずらし始める。噛み合っていたプラスチックの細かなパーツが一つ一つ外れる音が繋がって、独特の連続音を奏でている。実際に音を奏でるのはファスナーではないのに、それすらも楽器の音の一部のような気がした。ウクレレのネックの部分が黒いマジックテープで止められている。そんなに激しく揺らしたりして持ち歩くこともないが、中で楽器が動かないように助けてくれている。もつれながらも離ればなれになることは避けられない物として、マジックテープが解かれた。

 鼠色をしたそのケースには、ウクレレ本体を収納するのとは別でポケットが一つ備わっている。購入した時の保証書とチューナーが入っている。保証書は僕が普段取り出して使うことはほぼない。でもチューナーは毎回必ずウクレレと一緒のそのポケットから取り出している。本当はチューナーを使わずに、自分の耳で聴いて調律できたらと思っているが、まだ僕はオレンジ色の小さなそれに頼っている。本体裏面の黒いボタンを長押しすると点灯する。それをウクレレのヘッドに挟んで音を鳴らし始める。弦を1本ずつ弾いてチューナーに表示されるコードを確認する。金属の弦ではない柔らかい音が響く。白いペグを回しながら弦の張りを少しずつ強めていく。鳴らしながらペグを回しているから、音が伸びながら締め上げられているみたいだ。

 ケースを押し入れから取り出した辺りから、息子がこちらの様子をじっと伺っている。僕がこれから何をしようとしているかを彼は知っているのだ。ウクレレがまだケースから取り出されていないうちから、こちらにはいはいで迫ってくる。迷いなく一直線にだ。そしてチューナーを挟んだ頃には僕の膝に手を置いて身を乗り出している。調律をしていると4つの弦をネックごと押さえるようにして掴んでくる。鷲掴みにしてしまうと音が鳴らないことを彼はまだ知らない。とにかく今は誰かが触っている物に自分も触ってみたいんだろう。好奇心というエネルギーが彼を突き動かしているんだ。息子は中々手を離してくれないので調律が終わるのに時間が掛かる。ようやくいつも演奏している曲を弾き始めても、ウクレレに伸びる彼の手が大人しくなることはない。

 大人になって思い付きで弾き始めたウクレレ。でもウクレレだけに興味があるわけではない。ピアノの音も好きだし、サックスなどの管楽器の音も好きだ。自分の感情を言葉だけでは現せられないことがある。自分が知っている言葉を並べてはみるけど、どれにも当てはまらないこともある。喜怒哀楽という言葉があるけれど、感情や心の動き方がたった4つしかないわけがない。その時に僕は何の曲を聴きたくなるだろう。思わず口ずさんでしまうような曲はあるだろうか。調律を何とか終わらせて、今日もリズムに乗って曲を奏でる。小さな2つの瞳がじっと見つめている。

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