茶色い背中

 ページの横に動物のイラストが描かれたボタンが並んでいる。ボタンと言っても、押した時に確かな感触が得られる物ではない。ボタンというよりもどちらかといえば、感度の鈍いタッチパッドと言った方が近いかもしれない。動物園にいるであろう生き物を集めたその絵本を読み進めるのに合わせて、ボタンを押すと鳴き声が聞こえる仕組みになっている。息子の気に入っている1冊だ。その動物の中にいる蛇を参考にして、長く切った段ボールに手書きで蛇を描いたことは以前に話した。鉛筆で下書きを終えた後で、油性ペンで実際に模様を描く線をなぞったままになっているそれが、テレビの前に横たわっている。先端の一方は顔の形に切り取られ、もう一方は尻窄みになっていて鱗の模様もそれに合わせて細かく描かれている。

 蛇の頭の付け根から、鱗を1枚ずつ濃い緑色のペンで塗り始めた。10cm程度塗り進めた所で、黒と濃い緑が干渉し合って立体的に見えないことに気付いた。本当は鱗の1枚ずつをはっきりさせたくて黒いペンで鱗の形に線を引いたけど、濃い緑との色の差が明確ではなかった。そこで黄緑色のペンを用意して、黒い線のすぐ内側にもう1本線を引くことにし、黄緑色の線の内側を濃い緑で塗ることにした。こうすることで色の明暗によって、鱗が1枚ずつはっきりと見えるようになる。絵本のイラストには鱗まで細かく描かれていたわけではない。もちろん一目でそれが蛇だと分かるけど、実際の蛇に近いとも言えない。蛇があまり好きではないから、生々しい物に仕上げるつもりもなかった。

 大人になってから、売り物として店頭に展示されているものや、動物園で飼育されている蛇を見たことはある。それより以前で思い出すのは、僕が東京に暮らし始めるずっと前のことだ。今僕の実家は二方向から敷地内に入れるようになっている。でも昔は片側だけからしか入って来れなかった。通れなかった場所は白いフェンスで遮られ、その向こうは草むらだった。時々誰かが機械を使って草を刈り取っていたけど、雑草ばかりだったから元に戻るのに時間は掛からなかった。その草むらには蛇がいると誰かが言っていたけど、僕が実際にその姿を目にすることはしばらくなかった。家の庭で遊んでいてボールか何かが草むらに落ちてしまうと、誰かが取りに行くことになる。そして僕は蛇がいると誰かが言っていた話を思い出し、自然と足がすくんでしまっていた。

 恐る恐る草むらに降り立って、足元で奇妙な動きをする生き物がいないか神経質になりながら、結局何事も起こらないままフェンスをまた乗り越えていた。小さな虫くらいいたとしても、蛇はいないんじゃないかと段々思えるようになっていた。しかしある日の学校の帰りに草むらの横を通ると、目線の少し先で蛇のような茶色い背中がすーっと動くのが見えた。それが確実に蛇だったかは確認しようがない。そもそも確認しようとも思わない。でも蛇だったんじゃないかと思えるほど、それは滑らかな動きだった。それ以来その草むらで何かの生き物を見たという記憶はない。そして今は草むらではなくて、実家の敷地となっている。そして敷地の横は畑が広がっていて、きちんとならされている。土は柔らかくなっていて、入ると足跡が残る程だった。昔は畑に勝手に誰かが入って移動した痕跡があると、近所でちょっとした騒ぎになっていたことを思い出す。

 机の上に段ボールの蛇を伸ばして、油性ペンを透明なケースから取り出す。鱗は事前に大きさが同じになるように測ってある。濃い緑と黄緑を使って色を塗り続ける。余計なことは考えない。端から順番に鱗に色を塗っていく。段ボールに黒い線だけだった物が、緑色の鱗が並んだ蛇になり始めている。僕は黄緑色の線の幅を気にしながら、綺麗な放物線を描くように油性ペンを走らせ続けていた。

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