「お母さん」と書かないのは

 1日の中で夕方が一番忙しい。仕事は終わり掛けの時間ではあるけど完全に終わっているわけではないから、息子の面倒を見る為に100%注力することが難しい時もある。手が離せない程ではないから、合間に風呂掃除をしたり、夕飯で食べる味噌汁用の昆布を水に浸したりすることはある。3回目の離乳食は大抵5時前後に食べさせている。僕が夕飯を食べる時間まで起きていられる程の体力はまだないようだ。時々5時になる前にお腹が空くのか、抱っこしてもぐずりが止まない時がある。自宅にあるおもちゃを与えることで落ち着くこともあるが、そうでない時はテレビのスイッチを入れることもある。普段息子に見せる以外ではほぼ全くテレビ番組を観ていない。ゆっくり座って観る時間がないし、そもそも観たいと思う番組もない。

 5時前だと平日なら子ども向けのNHKの番組が放送されている。息子はキッチンの方まで移動していたとしても、テレビから流れる声や音が気になるようで、手を止めてこちらを見てくる。ちょうどいつも僕が座って仕事をしている背中側の壁沿いにテレビは置いてある。だから僕も自分の背中側すぐ後ろから音声が耳に届く。甲高い女の子の声がしたり、マスコットキャラクター達が喋っている声が聞こえる。もし僕が未だに結婚もせず独身でいたなら、観ようとすら思わなかったかもしれない番組達。息子は明らかに興味を示した表情をしながら、こちらにはいはいで近付いてくる。その移動速度は僕の予想よりも速く、すぐに彼は僕が作業をしているローテーブルまで辿り着いた。

 目の前に何も障害物がなければ、彼はそのまま進み続けてテレビに顔を付けてしまうだろう。画面からはある程度離れて観て欲しいから、重り代わりにペットボトルを入れたプラスチックケースをローテーブルの横に置いた。掴まり立ちをするにはちょうど良い高さだと思う。腕を伸ばして手の平を置いて、身体を自力で持ち上げることが出来るようになっている。視線をテレビに向けてじっと立ったままでいる。流れてくる音楽に合わせて、時折身体を動かしているようにも見える。一緒に歌っているのかもしれない。画面の中で歌って踊っているのを見ながら、声を出して何やら喋っている息子。正確に何と言っているかは分からないが、一定のリズムを刻んでいるようにも聞こえる。

 「おかあさんといっしょ」という番組がある。僕は個人的に好きでも嫌いでもない。息子と一緒に観ていて、楽しいと思う時もあるしそうでない時もある。息子よりも年齢が上であろう子ども達も登場する。「おかあさんといっしょ」を、息子は父親である僕の横で見つめていた。お母さんではなくて「お父さんといっしょ」状態になっている時もある。番組名にはお父さんという言葉は入っていない。それが入っていないことをとやかく言うつもりはない。ただなぜお父さんではなくて「おかあさんといっしょ」なんだろうと思う時がある。父親としての自分に意識が行き過ぎているのかもしれない。女性にしか出来ないことは確かにあるけど、それを除けば子育て中の役割というのは流動的であっていいと思っている。僕が男性だからといって、家の外で働き続けないといけないわけではないし、平日は在宅勤務の間にちょこちょこと家事をやったり息子と少し遊んではいる。

 「おかあさんといっしょ」のおかあさんとは、母親に限定しているのではなくて、子どもに関わる親達のことを現しているんだと思う。だから敢えて「お母さん」と漢字では書かずに「おかあさん」と平仮名で表記しているのかもしれない。まだ僕の息子は言わないが「お母さんと一緒がいい。」と彼が言う時、それはお父さんとは一緒にいたくないという意味とは断定出来ないはずだ。もし僕が言われたら少しは寂しいと思うかもしれないが、僕が小さい頃そうだったように場面ごとに子どもの心情は違うから、両親のどちらに甘えたいかは変化していく。どちらか一方だけとも限らない。信頼さえ揺るがなければ、流動的であったとしても拠り所としての存在は変わらないと思っている。

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