愛さえあれば

 砂浜に1人で座り込んでいる青年。風と波の音が混じって遠くの方から聞こえてくる。彼の背後からカメラがゆっくり近付いていく。振り返りながら彼が唄い出す。メロディーを口ずさんでいるようでもあり、心情を吐露しているようでもある。あるいは思い出しながら書き留めた詩を、照れ臭そうに控えめに披露するように、これから垣間見ることになるであろう物語の始まりを予感させる。映画の冒頭のこの場面が気に入っている。下北沢にまだレンタルショップがあった頃、夜中に出かけてDVDを借りて観たこともあった。場面が変わる度に登場人物達が歌うビートルズの曲も馴染みがあったり、普段聞かない曲も混じっている。ミュージカル映画として分類されるのだろうけど、若者達の行き場のない感情が詩となり音楽と共に溢れ出しているように感じた。

 映画『アクロス・ザ・ユニバース』のDVDが届いたので、妻と2人でポップコーンを食べながら寝静まる息子を横目に観ていた。洋画のタイトルをカタカナで書かれているのを目にするのは個人的にあまりしっくりこない。音声を吹き替えていない状態で、登場人物達が英語を使っているのだから原題そのままの表記にして、読み仮名として小さく書いておけばいいのにと思う。だから映画館に行っても自宅で観るにしても、日本語吹き替えで楽しむという選択肢は僕の中ではない。演じる俳優達の生の言葉や息遣いを聴きたいと思っているし、字幕が表示されていれば話の筋は理解できる。物語を要約するように、大事な場面は忘れない。各場面ごとに吹き替えの音声ではなく、役者自身が口から発した言葉を聴きたいと思っている。

 真っ赤な苺を使って、主人公は自分の作業部屋を染め上げていた。苺がピンで等間隔にキャンバスに止められていた。赤い果汁が垂れ始める。泣いているのか、笑っているのか分からないが、赤い涙のようにも見える。血液とまでは言えない。もしそれが血だとしたら、そんなに甘い匂いはしないはずだ。いつも買い物をしているスーパーの入り口脇に野菜や果物が並んでいた。この時期は複数の種類の苺が並んでいる。ほぼ毎日そこに通っているけど、必ず苺のパックか箱を持っている他の客の姿を目にする。暖かい日には並んだ苺から甘酸っぱい香りが漂ってくる。ずっと昔からきっと苺はそんな香りを放っていたはずなのに、最近ようやく苺の本来の香りを知った気がする。バナナと同じような感覚では手が出せない値段ではあるけど、好きな果物の1つだ。そんな苺のような甘いだけの時間を過ごせたら、毎日何の不安もなく過ごせるだろうか。

 ビートルズ本人達が歌って演奏しているのと同じ曲のはずなのに、初めて聞いたような印象を持った。彼らが全盛期だった頃のことを僕は全く知らない。だから懐かしいという感覚にはならないけど、懐かしいと感じる世代の人達もいるはずだ。ビートルズだけではない。僕は戦争を間近で体験したこともない。戦争に反対する人々が実際に何を考え、彼ら彼女らの捌け口のない莫大なエネルギーがどんな風だったのかも分からない。世界は本当に平和になっているんだろうか。平和であって欲しいと願うばかりに、本質的な問題に背を向けてしまっていないだろうか。時代が移り変わって行こうとも、行動することでしか未来は変えられない。人と人との繋がりも、少しでも世界をより良い場所にする為にも。

 屋上に置かれた1本のスタンドマイク。頭の上にあるのは空だけだ。彼は歌う。きっとどこかで彼女に聞こえるかもしれないと思いながら。愛こそが全て、と。もう一度やり直したいと伝えたいのかもしれない。自分が間違っていたかもしれないし、彼女が間違っていたかもしれない。それも起こってしまったことだから、これからは思いやりを持って愛したいと唄っているのかもしれない。波紋のようにそれは広がって、他の誰かの思いも取り込んでいく。思いやりという名の愛さえあれば、世界は本当に穏やかな場所になるのかもしれない。

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