夜に止まる秒針
自分の周りが静かであればあるほど、時計の針が動く音が気になる。気にしないようにと思えば思うほど、その音はどんどん大きくなる。実際には近くにいる人間の精神状態に合わせて、音量が上下することはないのだけど、感覚的にはあり得ない話ではない。そのうちに耳から入ってくる音だけではなくて、自分の内側で心臓が鳴らしている音まで普段よりも大きく聞こえてくることがある。特に緊張しているわけではない。太陽が沈み、通りから人の声がしなくなっても、世界が無音になることはきっとないんだろうと考える。例えそれらの音を気にする間もなく僕が寝静まってしまったとしても、時計の針は動き続けているし心臓は動き続けて僕を生かし続けてくれている。
デジタル表示の時計は自宅に2つ置いてある。白と黒のが1つずつ。どちらも時刻だけではなくて、気温と湿度も合わせて分かるようになっている。白い時計は洗面台の上にしばらく留まっている。随分その場所から動かしていないから埃を被っているかもしれない。そしておそらく壊れているわけではないのに、湿度の数字がずっと変わらない時がある。雨が降れば湿度は上がるはずだし、晴れの日には換気をして湿気を外に追い出している。たった1日の間でも数字が上下してもおかしくないはずだ。それでもなぜかその白の時計は黙ったまま、同じ数字を表示し続けている。時間だけでもずれなく教えてくれているので、まだ使い続けている。正確な表示かどうかを別にすれば、白という色自体好きだし気に入っている。
もう1つの時計の色は黒だ。キッチンと反対側の壁に折り畳みの机が鎮座していて、今はその天板の上に置いてある。こちらも白い時計と表示されている内容はほぼ同じ仕様になっている。本体の色以外の違いはと言えば、大きさが白よりも黒の方が一回り大きく、表示されている文字も大きい。白と比べて際立って見やすいとは言い切れないが、使い勝手は悪くない。本体上部のボタンを押すと、蛍光色の色合いに近い緑のバックライトが点灯する。息子の寝つきが悪くて夜中に起きてしまった時に、抱っこ紐で彼を抱きながら時間を確認している。バックライトの色はあまり好きではないが、点灯しても明る過ぎないので文句はない。手元のスマホで時刻を確認するにも、バックライトが明る過ぎて息子を起こしてしまわないか少しだけ不安がよぎる。
壁掛け時計を買おうと何度か検討しながら、結局最近まで買わずにいた。ようやく買って家に届いたのは、円形の白いオーソドックスなタイプの物だった。派手な装飾はなくて黒の文字盤と長針と短針、そして銀色の秒針が備わっている。電波時計なので時間の細かな修正は必要なさそうだ。早速箱から取り出す。本体裏面に付いた小さなボタンを押しっぱなしにして時間を調整する。針は動き出したけど、その動きが思ったよりも遅くて現在の時刻に到達するのに数分を要した。電波を受信すると説明書に書かれていた通りボタンを押したけど、針が自動的に動く気配はなかった。とにかく現在時刻に合わせられたので壁に取り付けた。昼間はスマホの画面に表示される時間を見て行動していたから、そこまで壁の時計を確認することはないと思っていた。
実際に使い出すと、何気なくその白い時計で時刻を確認している自分がいた。携帯電話やスマホを持つ前は、当たり前のように実家の壁掛け時計を見ていた。時間がずれてしまったらテレビを点けて合わせていたし、針が動かなくなったら電池を交換していた。身に付いた習慣というのは、身に着ける物がどれだけ便利になろうとも簡単には忘れられそうにない。時計の針を見ている方が、過ぎ去った時間の重みとこれから迎えるであろう少し先の未来をより実感として感じられる。白い時計を常に持ち歩くわけにはいかないから、状況によって使い分けてはいるが、ポケットからスマホを取り出すまでもないちょっとした時間の確認なら壁掛け時計で充分だし、スマホはそれ以外にも色々と出来過ぎてしまう。
暗くなると自動で秒針が止まるようになっている。明るくても動いている秒針の音は全く気にならない。止まっていても時間は進み続けている。暗い夜の闇が僕らを包み隠してしまったとしても。