椅子の脚の間から

 昼と夜の気温差が無くなることはないが、暖房を付けていると暑く感じる日が増えていた。数日ごとにエアコンの設定温度が少しずつ下がっていく。そして最早暖房を付けるまでもないと思った時には、夜ですらエアコンを動かさなくなっていた。デジタル時計で見ても、部屋の隅に置いてあるサーキューレーターで見ても、設定温度よりも部屋の温度が高く表示されるようになった。1年中薄着で過ごしている僕も寒いと感じることはなくて、エアコンの手を借りずに過ごすことにした。最初は何となく肌寒い気がした。ウレタンマットが敷かれていない床はまだ少しひんやりしている。でも冷たいのではない。暖まり始めた地面の熱がまだ上がってきていないようだった。春はもう目の前まで迫っていた。

 その広場には大きな土管が3つ積まれている。それらは青い芝生の真ん中辺りに位置している。ガキ大将が同級生に強制的に歌を聴かせようとしている場面が浮かびそうな土管。それを囲むように、芝生の上には所々に木製の椅子やテーブルが設置されている。それだけではなくてキャンプなどで使うアウトドア用の椅子も置いてある。そして芝生の北側には段差によって他よりも少しだけ高さのあるステージのような場所も備わっている。時々そこで楽器を演奏しながら歌ったり、イベントを開催していることもある。催しがない時でも、子どもを連れた人達やテントの下のテーブルを囲んで話し込んでいる人の姿をよく見かける。下北沢でここまで屋外に人がいつも集まる場所はないんではないかと思えるくらいだ。

 その広場に息子を連れていった。芝生の上に座らせるのは初めてだ。とは言ってもいきなりは座らない。自宅から持ってきた防水シートを広げて、その上に座らせてみる。辺りを見回しながら芝生を眺めている。身を乗り出して早速そちらに移動するのかと思ったら、人差し指でシートと芝生の境目を突いている。突いては指を引くのを何度か繰り返しているのだ。いつもウレタンマットの上か固い床の上しか移動したことがないからか、感触の違いに戸惑っているのかもしれない。シートの端を掴んで引き寄せたりしている間に、シートから出て進み出した。僕は一番近くに置いてあった木の椅子に座り、斜め上から息子の様子を眺めていた。

 快晴とまでは言えない空模様ではあったけど、太陽の光は充分届いていた。僕は座っていた椅子から降りて、その椅子の脚の間から覗いて四つん這いになっている息子の名前を呼んだ。何かの影に隠れて名前を呼んだ後にすぐ隠れる遊びが好きらしい。声を上げてこちらに近付こうとしている。でも脚の間は狭くて息子の体格でも通り抜けるのは難しそうだ。頭の位置が変わらないまま、椅子に向かって進もうとするが額を椅子にぶつけてそれ以上前に行けない。それよりも彼は何かに掴まって立ちたそうだった。僕は息子を抱えて両手を椅子の上に置かせた。するとすぐに膝を伸ばして掴まり立ちを始めた。自宅でも何かに掴まって立とうとすることが増えた。そして立った後は机の上に置いてある物に容赦なく手を伸ばす。それがお茶や水であれば簡単にひっくり返してしまう。届かないように片側に寄せてはみるが、お腹を机の上に乗せるように身を乗り出して触ろうとする。

 芝生で遊んでいたのは僕らだけではなかった。他にも子ども達がたくさんいて賑やかだった。僕らの周りを走り回っている。土管の中だけでなく、その上にも乗っかって声を出している。そんな彼らの様子も見ながら、息子は座ったり進んだりを繰り返していた。椅子の上に腕を置いていたら、誰かに優しく掴まれた気がした。目の前にいる息子や妻ならすぐに気付いたはずだが、今回はそうではなかった。僕の左腕を触っていたのは、小さな女の子だった。でも息子よりは年齢が上に違いない。自力で歩いていたから。どうやら僕のことを父親と間違えているらしい。妻が彼女にお父さんじゃないよと言っても、自分は間違っていないといわんばかりに首を横に振っていた。きっと近くに母親か父親がいるはずだ。彼女に聞いてみても、場所を答えられない。

 そうこうしている間に数メートル先で母親らしき女性が立ち上がって、彼女を連れ戻してに来た。お父さんと似ていたのだろうか。その後すぐに父親らしき男性が現れたが、服装も体型も似ているとは言い難い人物だった。もしかしたら見た目ではない雰囲気のようなものが似通っていた可能性もある。いずれにしろ確認のしようがないのだが。広場を後にして自宅に戻ったのは、ほどなくしてだった。

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