フェルトの球

 薄い水色で小さく柔らかい球の形をしたそれを片手で掴んで、口元まで運んでいる。普段息子が口にする食べ物の中で、それと同じ色の食べ物はない。薄い水色の食べ物が何かと僕が聞かれたら答えられないから、彼がこの先その色の物を口にする時は来ない可能性の方が高いだろう。その薄水色の球の表面はフェルトのような生地になって、細い糸がいくつも飛び出していた。表面がどうなっているかは、きっと彼には分からない。そもそも食べられるかどうかもほとんど考えてないように見える。考えるよりもまずは口に入れてみようの精神でいるのだろうか。ある意味で大胆ではある。掴んだ球を近づけるのと同時に、頭を垂れて口を開けながら顔が迫っていった。結果は大方予想が付くのだけど、敢えて何も言わずに様子を見ていた。

 手のひらからこぼれ落ちそうになっている球を、5本の指に力を入れてしっかり握った。唇が触れた後で顔をしかめて首を左右に振っている。やはりフェルトの球は口に合わなかったようだ。当然の結果と言えばそうかもしれない。大人の僕だってその球を口の中に入れようとは思わない。そもそも食べ物ではないし、飛び出た糸が口の中で絡まって不快でしかない。そして言葉でそう言えない息子は、その代わりに表情でまさしくその感情を表していた。でも絶対今美味しくないと思ったはずなのに、口元から離したそれを再度食べようとしている。1回目だろうが2回目だろうが、元々食べられない物が食べられる物に変化することはない。本人は自分の好奇心に忠実であるだけで、至って真剣にやっているのだろうけど、見ているこちらとしては可笑しくもあり可愛くもある。

 息子にできることが増えると目が離せなくなるのは確かだ。ただそれはいつ何時もすぐに行動を制止させる必要があるということではないと思う。例えば前述した出来事の場合、最初から彼にフェルトの球を与えなければ、彼が口元にそれを運んで嫌がっている素振りを見なくても済む。口元に運んだとしても、大きさ的に絶対に誤飲することのない物だけで遊ばせておけばいいのかもしれない。子どもが怪我をしたり、病院に行く時間や費用が発生しないように、事前に予防線を張っておくことが間違いだとは思っていない。意図された使い方に従い続けることが、子どもを危険から守る為の唯一の方法だろうか。道具は目的を達成する手段であって目的そのものではない。おもちゃを道具と見立てるなら、遊びは目的といったところか。

 フェルトの球は口にして食べる物ではないというのを伝えるにはどうしたらいいか。本人がこれは食べ物ではないと自分で判断できればそれが一番望ましい。しかし言葉だけでは実感が伴わないから、何度も繰り返してしまうだろう。何でもかんでも咥えさせてみればいいとは言わない。でも咥えても身体に害がないのなら、食べようとしているのを無理矢理止めさせなくてもいい。怪我や誤飲には注意する必要はあるが、本人が納得するまである程度様子を見ている。それで息子の場合は数回同じことを繰り返した後で、フェルトの球を床に落としている。これじゃあないと言いたげな表情を作って、すぐに別のことをし始める。最近はリビングにいて長い時間を過ごすことが減ってしまった。台所に立っている時や、風呂掃除やトイレに入った時もこちらの姿が見えれば、普段あまり見られないくらい早いペースのずり這いで迫ってくる。

 自分で体験して理解できることなら、健康を害しない範囲でやってみればいいと思う。1人ではできないこともまだたくさんあるし、不意に姿勢を崩した時には注意がまだまだ必要な時期ではある。ただし最初からあれやこれやと取り上げなければいけないほどでもない。おもちゃの数を増やす必要はないと思っている。たくさんあるからたくさん遊び方を知っているとは言えない。日常に溢れた様々な物を使って、どんどん自分なりの遊び方を探っていってくれたらと願っている。

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