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僕は自分でクッキーを焼いたことがないから、2月14日のお返しは前月にもらった物と同じくチョコレートにしようと思っている。焼き菓子はあまり好きではないけど、甘さ控えめのチョコレートは好きだ。相手が何を受け取ったら喜ぶかを考えるのはあまり得意ではないから、自分がもらったら嬉しいと思う物を贈ることが多い。とは言っても学生の頃に比べると、誰かに甘いお菓子を贈るような機会は今ではかなり少なくなった。そう言うと昔はたくさんやり取りしていたように聞こえるから補足すると、そもそもやり取り自体が少なかったから今は数えるほどしかない。でも機会が少ないからといって後ろ向きに捉えることはない。あの人もこの人もと考えるよりも、たった1人でいいから最高の贈り物は何かと考える時間の方が今は尊く思える。
小学校に通っていた頃、週末になると校庭でソフトボールの練習が開催されていた。野球よりも大きなボールをグローブをはめて追いかけたり、金属製のバットを持って構え、こちらに向かってくるボールを思い切り叩きつけるように振り切る。走って投げて打ってを皆が繰り返すのだけど、僕は走るのが遅かったしボールを投げるのもうまくいかなかった。バットを思い切り振っても、ボールが当たって前に飛んで行くことは少なかった。いつまでもそんな調子だったから、全く楽しむことができずに途中で練習に参加しなくなった。ソフトボールよりも女の子達がやっていたキックベースボールの方がまだ自分にはできるんじゃないかと校庭の反対側を眺めていた。部活動というわけではなかったはずだけど、一体何だったんだろう。
校庭を囲むようにして様々な遊具が設置されていた。校庭にいる全員が何かしらの球技を集団に混じって行っているわけではない。声を出して走り回る子どもを横目に、遊具を使ってそれぞれが好きなように遊んでいた。僕は袋入りのハイチュウを持って、気になっていた同級生に声をかけた。ハイチュウを分けてあげると言ったのは、彼女と話をするきっかけが欲しかったからだった。しかし案の定、彼女は僕の提案を拒み何事もなかったかのようにその場を去っていった。自分の目論見に気付かれたのかもしれないということに焦りながら、彼女に分けるはずだったハイチュウを欲しいと言ってくる別の同級生の男子を見て虚しくなっていた。速く走ることができたら、断られる前に彼女の手にハイチュウを握らせて颯爽と立ち去ることができたのかもしれない。
ずっとチョコレートをくれていた同級生のお母さんと、僕の両親は時々地元で顔を合わせるらしい。東京で生活をして結婚し、子どもが生まれたことを含めて近況を伝えてくれたそうだ。ずっと親しくしていたわけではない。確か中学までは一緒の学校だったと記憶している。気になっていた子にハイチュウを受け取ってもらえなかったことよりも、僕のことを覚えてくれている同級生がいるというだけで何だか嬉しい。彼ら彼女らが皆今どこで何をしているのかは分からない。地元で生活し続けている人もいるだろうし、僕のように別の場所で理想の暮らしを追い求めている人もいるかもしれない。時間の使い方は人それぞれであっても、僕のことを覚えていてくれるというのはありがたいことだと思う。何かその人にとって印象に残るような人間だったのかもしれない。
そう言えば僕はこれまで同窓会に参加したことがない。招待された記憶も残念ながらない。覚えていないだけで、もしかしたら実家に葉書や封筒が届いていたかもしれないが、顔を出したことは1度もない。同じ教室のカーテンが備わった同じ窓が僕らの視界にはいつもあったけど、その向こうに見ていた景色は一人一人違うものだったに違いない。そうでなければ僕らは生き続ける時間の中で、互いの人生がもっと交錯しても不思議ではないからだ。交わらないということは、皆が自分なりの選択を繰り返して生きているということだろう。もしこの先その道が一時でも交わることがあるのなら、今もその時も胸を張って生きていられるようにしたい。