3月9日

 今日の日付がそのまま曲のタイトルになっている。春先の空気はまだ冷たさを残してはいるけど、確かに冬の終わりと次の季節の到来を告げているようだ。レミオロメンの『3月9日』を初めて聴いたのは高校生の時だった。友達の家に遊びに行った時に偶然流れていた1曲。穏やかなリズムに、春の暖かい陽気の中で大切な人を想う歌詞が印象的な曲だ。高校の帰りにいつも寄っていたTSUTAYAの2階がレンタルCDのコーナーになっていた。その頃は借りてきたCDをMDに録音して聴いていた。自分だけのお気に入りの曲を集めて、音楽アルバムのようにして楽しんでもいた。3枚のCDを同時に置けるデッキが実家に置いてあって、それらが入れ替わるトレイの独特な動きを上から眺めていた。今はもうMDを使うことはないけど、曲はまだ時々聴いている。

 CDをレンタルすることは今でも続いている。コロナ禍で気軽にいつでも出かけられるという雰囲気ではないが、機会があれば事前に気になる曲を調べて店に立ち寄っている。滞在時間は最小限にして目当ての品がなければ潔く店を後にしている。とは言っても最近は聴きたいと思う新しい曲がほとんど出てこないので出かけていない。iPhoneを使うようになってから、スマホ本体に借りてきたCDの音源をコピーして溜め始めた。最初はもちろん1曲も入っていないので、借りてくるCDの数も多くなるし店に何度も通っていた。そして段々その頻度が減って、借りるCDの数は少なくなっていく。まとめて借りれば金額的に割安なのだけど、聴きたい曲がなければ借りる枚数を増やしようがない。

 最初の頃に比べると、スマホのストレージ内の曲数が増える頻度は落ちていった。流行が変わったり新しいアーティストが常に登場し続けるのだけど、気に入らなければCDを借りてまで聴こうとは思わない。1回聴けば満足する曲はYouTubeでミュージックビデオを見て終わりだった。また聴きたいと思った時に初めてCDを借りるという選択肢が自分の中に生まれる。CDプレイヤーで都度ディスクを入れ替えて聴いていたのが、MDで好きな曲だけ集めて聴くようになった。そして携帯型の音楽プレイヤーにMD1枚分に入る曲数の何倍もの曲を詰め込んで持ち歩いていた。そして音楽を聴くことと電話やネットを使うことを別々の端末で行っていたのが、一つのスマホで完結できる時代になった。

 わざわざお店に行ってCDを借りなくても、ストリーミングサービスを使って何千何万の曲を定額で聴く方法があるのは知っている。それでも僕はCDの音源にこだわりたい。パソコンに取り込む際には極力圧縮せずに済む設定にしてコピーしている。1曲ごとのデータ量が増えるし、取り込む時間も必要になる。指先を動かして楽曲を検索する代わりに、自分の身体を動かして図書館で本を探し出すようにCDが並んだ棚を眺める。聴きたい数曲が決まっていて、それ以外を含めたアルバムの全曲を聴きたいわけではないけど、シングルCDが用意されていないことの方が多い。もしかしたら自分が聴いたことがないだけで、一度聴けば気に入るかもしれないという思いも込めてCDを手に取る。選んだCDの枚数を時折数えながら、残り何枚で割安になるかも考えていた。

 音質のいい音楽を聴きたいと言ったが、CDの音源と同質の楽曲がストリーミングサービスでも将来提供されるかもしれない。可能性は大いにあると思う。果たしてそうなった時に僕は毎月定額を支払ってサービスを利用するだろうか。今はその気はないと言っておく。次々と登場する新曲を聴き続けることはできるだろうが、好きな曲だけ聴けれる状態であれば毎月の出費は不要だと思っている。一旦CDから取り込んでしまえば、その後は例えオフラインであったとしても何度も繰り返し再生できる。それをメリットと感じているし、それ以上にデメリットがあるとも思えない。CD自体を購入することはなくなったが、あたかも気に入っているCDだけを自分だけが使える棚に並べているような感覚だ。

 8日でも10日でもなく、9日だ。春の陽射しが身体を温める。僅かに開き始めた桜の蕾を見ながら、満開の花を付けた木々が連なっている景色を想う。僕の隣には大切にしたいと思う人が寄り添っている。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

未分類

次の記事

倒れそうで、倒れない