乾いた洗濯物に雨が降る
どうしても思い出すことができない。確か従兄弟が学生時代に使っていたその洗濯機を、僕が上京する時に譲ってもらったはず。そして狛江で借りた部屋でも、初めて下北沢で借りた部屋でも使い続けた。特に新しい機種でもないオーソドックスな縦型の洗濯機。毎月家賃を払って生活している点は今も変わっていないけど、洗濯機は別の物を使っている。縦型だったのがドラム式になり、洗うことしかできなかったのが乾燥までできるようになっている。今のその洗濯機も使い出してから年数が経過している。正確に言えば僕ではなく妻が使っていたのを、2人で共用するようになり、今では家族3人分の衣服の面倒を見てくれている。脱水や乾燥時に中のドラムが高速回転すると結構な音がする。一般的には既に買い替えてもいい時期に突入しているんだと思う。
1人で暮らしていた時には洗濯が終わると、折り畳みの蓋を開けて中身を取り出しかごに移していた。狛江に住んでいた時は、窓の外に雨が避けられるベランダが備わっていたからそのまま気兼ねなく干していた。ただ次に下北沢で借りた部屋の窓の外は、すぐに隣の民家の敷地になっていて雨避けも付いていなかった。洗った衣服を外には干しづらい状況だったので、まずユニットバスのカーテンレールにハンガーを使って引っ掛けた。ただ暑い時期は着替えが多くなり、洗濯物もそれにつれて必然的に量が増えていた。カーテンレールだけでは脱水しただけの衣服通しの距離が近過ぎて匂いが出てしまうので、まとめてコインランドリーを使うようになった。
プラスチック製の柔らかいかごに、湿った洗濯物を詰め込む。事前に天気予報を確認して、雨が降りそうなら傘を忘れないようにしていた。コインランドリーへの行きは、かごの中の洗濯物が水分を含んでいるから重量があった。ただし濡れていて衣服の隙間がなくなるので、ボリュームが大きくならずにかごは持ちやすくなっていた。しかしいくら持ちやすいとは言っても重量が減るわけではなく、距離の遠い近いに関わらず移動時間が必ず必要になる。遠ければそれだけかごを持ち続ける時間が長くなる。そして肝心のコインランドリーの場所は駅を挟んで反対側にあった。結論から言えば衣服を乾燥する為だけにしては遠くまで行く必要があった。コインランドリー自体はもっと近くに複数あったけど、僕は大抵仕事から帰って来た後に利用したので、時間が遅くなって当日の営業は終了している店が多かった。
洗濯物を入れたかごを抱えながら、飲み屋の明かりと賑わう人々の間をすり抜けるように通りを歩いた。1杯飲んで少し気を紛らわせたかったけど、それよりも早く乾燥を終わらせて布団に横になりたいと毎回思っていた。コインランドリーに到着すると、空いているドラムがあるか確認する。仮に一つも空いていなかったとしても、重たい洗濯物を担いでそのまま引き返す気にはなれなかった。運転中のドラムには乾燥が終わるまでの残り時間が表示されていた。最初から空いていればいいのだけど、夜は意外と利用者が多いようで埋まっていること自体は珍しくなかった。一番早く終わりそうな機械の前で座ったまま、透明な蓋越しに見えた踊る洗濯物と疲れた自分の顔を交互に眺めていた。取手には大きなビニールの袋が引っ掛かっていた。おそらく衣服の持ち主が持って来た物だろう。
もう残り数分しかないが持ち主は戻ってくるだろうか。乾燥が終わった衣服を勝手に取り出している際中に戻られたら、いくら自分が次に順番を待っていたとはいえ少し気まずい。でも運転を終了して静止しているドラムの前でじっと待っているわけにもいかない。運んできた衣服を早く乾かして部屋に戻りたいのだ。財布から100円玉を3つ取り出して機械に投入した。勢いよく点火された音がした後に、ごぉっと大きな音がした。そしてドラムが回転し始めて乾燥が始まった。時間を潰す為に本の1冊でもあればと思ったが、時既に遅しだった。回転する衣服が他人の物から自分のに変わっただけで、そこには先ほどとあまり変わらない眠そうな僕自身の顔が映っていた。30分ほど経過すると中のドラムがゆっくりと速度を落とし停止した。乾いたことで重量は軽くなったが、量が増してしまった洗濯物をかごに再度詰め込んで歩き出した。雨が降るかもしれない。僕は濡れてしまっても構わない。どうか乾きたての洗濯物だけはそのままでいてほしい。