風に乗った水飛沫

 その公園に来たのは初めてのことだった。下北沢から渋谷まで井の頭線で移動した後に、路線バスに乗り込んで向かった。公園に行きたくて出かけたわけではない。その公園近くの自衛隊中央病院の場所を確かめる為だった。最寄りのバス停で降りると、病院よりも先に公園が目の前に広がった。目当ての建物らしき物が、公園内で鎮座する木々の向こう側に微かに覗いていた。晴れの空ではあったけど風が強く、まだ肌寒い時期だった。息子をベビーカーに乗せて小さな毛布と風除けを被せていた。公園内は家族連れの姿が多く賑わっていた。シートを広げて昼食を食べている人達もいた。小高い丘のようになっている場所もある。それらを横目に見ながら公園の奥へ向かって進むと、すぐに反対側に出られた。そして目の前がその病院だった。

 自衛官の男性が門の前で真っ直ぐ立っていた。何となく話しかけづらい。場所を見に来ただけだから彼と話をする必要はないのだけど、目的の場所がそこで合っているのか少し不安になってきた。一緒にいた妻が入り口はどこかと尋ねると、その時まさに目にしていたその場所が入り口だった。門の横に開け放たれた小さめの入り口が用意されていて、他の病院と同じように受付があるとのことだった。そこまでの移動時間は、去年息子が生まれた都立病院に行くのとほとんど変わらない。電車とバスを利用するという点も共通している。コロナ禍で馴染みの医療機関の診療体制が変わっているので、次にまた子どもができた時にはもしかすると別の病院にお世話になる必要がある。先の状況を明確に知ることはできないにしても、他の病院がどこにあるかくらいは知っておきたいと思った。

 受け答えしてくれた自衛官は物腰の柔らかい口調で教えてくれた。自衛隊中央病院という名前を聞いて少し身構えてしまっていたけど、自衛隊の関連施設も兼ねているというだけで、患者を受け入れる病院には変わりないようだ。渋谷駅で電車からバスに1回乗り換えるだけだったし、渋谷駅のバス停も改札から遠くなくて、比較的分かりやすい場所に設置されていて安心した。万が一1人で向かうことになっても迷わずに辿り着けそうだ。自衛官に礼を言って公園に引き返した。午前中の息子の朝寝をした後に家を出たけど、時間が案外経過していることに気付く。最近は息子に離乳食を食べさせながら、自分達も一緒に昼ご飯を食べている。午後には昼寝をさせたいのでゆっくり公園内を散策する余裕はなかった。

 公園の広場中央には池があって、その中心には噴水が設置されている。少なくとも僕らが公園にいる間は絶えず水を吐き出し続けていた。噴水を息子が見るのは初めてだ。池を回り込むようにして噴水を見ながらバス停まで向かうことにした。風が強く吹いて暖かいとは言えない日だった。風下になるように移動したつもりが、噴き出た水が僕らの方向に流れて来てしまった。ベビーカーに被せた風除けの表面の色が、水滴に濡れて濃くなるほどだった。息子は顔をしかめながら頭を横に背けている。肌寒い早春に浴びる水飛沫はお世辞にも気持ちがいいとは言えない。そんなちょっとしたハプニングではあったけど何だか楽しかった。そしてそこから振り返った先には、人を乗せてレールの上を走る小さな列車が見えた。抱っこをしていれば息子も一緒に乗れそうだ。今度来た時には試してみたい。僕らは世田谷公園を後にして、元来た道をバスに乗って引き返した。

 バスの車内は混雑していなかった。立っている人もほとんどいなくて、行きのバスはずっと座っていられた。帰りは立ったままだったけど、景色を眺めていれば移動時間は苦にならない。渋谷駅でバスが止まった場所は行きとは別の場所だったけど、改札へ向かう道は把握している。終点だからそこで乗客全員が降りる。僕もベビーカーのストッパーを解除して出入り口まで向かった。交代の運転手らしき男性がベビーカーを車内から降ろすのを手伝ってくれた。病院前の自衛官の時と同じように、彼にも礼を言って改札へ向かって歩き出した。風はまだ強く吹いている。僕らをどこかへ押し運び続けるように。

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