畳の上の雛人形

 3月になったといっても外はまだ肌寒い日があって、雨が降れば花粉がほとんど飛んでいない気はするけど、濡れた足元を見ると憂鬱になる。雛祭りではあるけど自宅に飾る雛人形は持っていない。去年生まれたのは男の子だったから、初節句は数ヶ月先になりそうだ。僕の家族で作ったSNSのグループには、姪っ子達が雛祭りを満喫する様子が写った写真が次々と送られてくる。腕の中で静かにじっとこちらを見つめることしかできなかった彼女達は、今や流暢に言葉を操って語りかけてくる。でも普段中々会えないからか、スマホ越しに顔を出すと恥ずかしそうに隠れてしまうこともある。「おじちゃん」と呼んでくれるのは素直に嬉しい。子どもの健やかな成長を願う日でもある今日は、息子も含めて彼女達の未来に大きな幸せが訪れるように祈ろうと思う。

 僕の実家でも、この季節になると雛人形を和室に飾っていた。今はフローリングの床に廊下を挟んで和室と洋室に別れているが、昔は大きなひと続きの和室だった。廊下もなくて真ん中の襖を開け放つと、割と広いスペースができた。マットレスを重ねて跳び箱代わりにしたり、三角に折って繋げトンネル状にして遊んだりもした。そして襖や窓側の障子は無事では済まず、勢い余って突っ込んだり穴を開けてしまって母に叱られていた。その和室の片方の壁に寄せて、4段くらいの比較的大きな雛壇が置かれていた。組み立てはほぼ毎年父が行い、片付けるのも同じく父がやってくれた。組み立て順序を示す説明書があったとは思うが、プラモデルではないので難しくなさそうだった。箱から個別に包装された各飾りを取り出して、痛めないように開封して父の作業を手伝っていた。

 妹達の名前が書かれている木の板は同時に、メロディーを聞かせてくれるオルゴールにもなっていた。カチカチと機械音を刻みながらつまみを回して指を離す、すると雛祭り定番の曲が金属音の音階に乗って心地よく響き出す。雛壇の前で家族が揃って正座して、音に合わせて一緒にその歌を口ずさんでいた。そして翌日になるとすぐに片付けるか、もしくは父の仕事の休日に箱を持ってきて収納し、物置まで運んでいた。1年にたった1回だけしか日の目を見ないそれらの人形達は、防虫剤と一緒に次の雛祭りまで眠ることになっていた。賑やかな飾りの前で過ごす家族団欒の時間こそが、祭りなのかもしれないと思う。最後にその雛人形を見たのはいつだろうか。思い出せないくらい昔の話になってしまった。今度実家に帰ったら探してみるのもいいかもしれない。

 父が撮り溜めた古いビデオカセットが実家の押し入れにあるはずだ。そこにもしかしたら当時の雛祭り当日の様子が映っているかもしれない。そうでなくたって劣化する前に新しいメディアに保存しておきたい。そしてできれば家族で集まって映像を一緒に観たいとも思っている。当時の父が使っていたビデオカメラよりも遥かに小さいiPhoneで息子を撮った映像を時々見返している。映っているのは主に彼だが、名前を呼ぶ僕の声も録音されている。確かにそれは自分の声で間違いないのだけど、実家のビデオの映像から聞こえてくる父が僕を呼ぶ声にも聞こえる。親子なのだから当然かもしれないが、自分のようで自分ではない不思議な感覚だ。もう1人の僕が身体から抜け出て、すぐ隣で僕の様子をじっと見ているような気持ちになる。それは親と子の目には見えない繋がりを強く感じる瞬間でもあった。

 雛祭りや何かのお祝いの時だけではない。妻のお腹に宿っていると知った時から、毎日欠かすことなく息子の健やかな成長を願い続けている。そして実際のところ僕の心配をよそに、着実に彼は成長し続けている。成長していないのは僕の方なんじゃないかと思える時もある。でも余計な心配は振り落とすくらいの勢いで、僕も毎日変わり続けたい。そして心も身体もいつまでも健康でいられるようにしたいと思う。

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