彼なりにくつろぐ
僕の息子は生後8ヶ月を過ぎようとしている。ここまで特に大きな病気や怪我をせずに過ごせているのが本当にありがたい。僕自身も記憶を遡ったり、また人から聞いた話の中でも病を患ったりしていたことはなかった。何気なく過ごしているとそのことが当たり前のように感じて、特別なことのようには思わなくなりそうになる。でも日々変化していく息子の様子を見ていると、自分の親も僕が小さい時は毎日やきもきしながら育ててくれていたんだろうということは想像できるようになった。渦中の真っ只中にいる時にはそれが永遠に続くのではないかと思ってしまう。終わりが来ない物事などないと知っているはずなのにだ。その過程でどれだけ力を尽くしたかどうかに関わらず、今という瞬間はその後にまた一瞬で過去の話になる。
その場でじっとしていることしかできなかったのに、寝転がることは日常茶飯事で身体の向きを色々と変えながらあちこちに移動するようになった。食事をしている小さなローテーブルの下に潜り込むのが好きらしく、仰向けになって足の裏でテーブルを押し上げることがある。MacBookのキーボードを叩いている手が大きく揺れていた。上半身よりも下半身の力が強いようで、腕を前に出さずとも足の指で床を押して前に進むという技も少し前に覚えた。そして最近は寝返りの途中で身体を止めて、片手を腰に添えて反対の腕は肘を床について身体を支えるようにしている。よく見るとぴたっと止まってはおらず、不規則に前後に揺れているのが分かる。
更に上になった方の足を曲げて床に足裏をつけて支えている。まるでグラビアのようなポーズだ。彼なりにリラックスしているんだろうけど、僕が何気なく人前でやっていたら誰かを不快にさせるかもしれない姿勢も、子どもなら愛嬌があって可愛く見える。きっとその姿勢はその後の動きに繋げるための踏み台のようなものなんだろう。腰に当てていた手のひらを床について、上半身を少し胸の方に倒している。そして床を両手で押すようにして身体を起こそうとするのだ。自分で座ろうとしているのかもしれない。ハイハイはまだできないけど、つま先と手のひらだけで全身を支えるような動きを繰り返している。体幹の安定性は以前とは比べ物にならないくらい増しているはずだ。
上半身を起き上がらせることは時々できるようだが、まだ片手は床について支えにする必要があるようだ。前後にもまだ少しふらついている。前後左右の床にぶつけて痛そうな物が置かれていないかを確認する。彼が生まれる前にTVのCMで、転倒した時でも後頭部を保護できるクッションのような商品を何度か見ていた。当時はそれまで着用するのは過保護なんじゃないかと思っていたけど、いざ自分の子どもが頭をぶつけるかもしれないと思うと、過保護になっているから着用するというわけではないなと思えた。自宅には床にウレタンのマットを敷き詰めてあるし、家具もローテーブルしか床の上には置いていないのであまり心配していなかったが、後ろや左右に転がった時に頭をぶつけているのを見ると心配にはなる。どうしてもそのクッションが必要だとは思わないが、いくらでも出てくる心配事を一つでも減らして、過酷な育児を乗り切るにはいいのかもしれない。
表情も色々と変わるようになった。言葉は発しないが、顔に感情の名称を黒い太めのペンで書き込んだみたいにはっきりと示すようになっている。特に嫌がっている時の表現が明確で、不満を解消しようとするのだけど、変化に富む表情をずっと見ていたいとも思える。眠たい時にはもちろん眠たそうな表情を見せるのだけど、耳を触ったり目を手で擦ったり、毛布に顔を埋めたりしている。逆に機嫌がいい時には、もしかしたら今何か喋ったと思わせるような擬音を発している。何度も聞いている間に言葉を喋っているような気がしてくる。そして近い将来、本当に喋るようになるはずだ。最初に口にする言葉は何か。今から楽しみだ。