美容院は苦手だけど

 自分の髪の毛を切る為に数千円を支払うことには今でも少し抵抗がある。ここ数年は高くても2,000円ちょっとの店で切ってもらっている。ヘアスタイルに意識が向かないわけではないが、特別こうしたいと思うほどの思い入れもない。前髪は眉毛の上で、横の毛は耳に少し掛かるくらいで、もみあげは短くしたとしても完全には取り去らない。それだけ守ってくれれば後は毛量を減らしてもらって軽くなればそれで充分だ。とにかく髪の毛が伸びるのが早くて、量も多いから頭のシルエットが重たく見えてしまう。柔らかくて少し癖っ毛だったらいいなとずっと思ってはいるけど、実際のところはそれの真逆だ。少しの風で軽やかになびくような髪質を希望していたが、これから先自然とそうなることはなさそうだ。

 それでもかつては5,000円弱払って美容院に通ったこともあった。大学生だった頃に友人の紹介で利用し始めた店舗。店の場所はお世辞にも人目に付きやすいとは言えず、学生時代は原付や中型バイクで乗り付けていた。車で行って駐車場に停めることはできたが、余裕を持って出し入れできるほどではなかった。でもそれらの要素を不便とは感じていなかったし、カットを担当してもらっていた店員がよくしてくれていたというのが通い続けた一番の理由だ。髪の毛をさっぱりさせて、そのまま同じ市内にあるお気に入りのラーメン屋で腹を満たすのが定番になっていた。そしてよほどその美容院を気に入っていたのか、大学を卒業して社会人になった後も、車や大型バイクで1時間以上の道のりを運転して通い続けていた。

 元々美容院という場所に苦手意識があった。正確には美容院というより、髪を切ってもらっている最中に話しかけられることにだ。共通の話題が出て話がいつまでも続くことは今までほとんどなかったし、喋り出すと頭が自然と動いてしまうのでカットの邪魔になっていそうで快適ではなかったからだ。店によっては店員が必要最低限の会話以外は一切話しかけてこない場合もある。じゃあそういう状況の方がいいのかと言えば、そういうわけでもない。確かに話しかけられないのだから、会話の続きを考える必要はない。髪を切り終わった後の予定や、食事に何を食べようかとかいくらでも考え事ができる。ただ話しかけられていないので、店員の顔をずっと見ているわけにもいかない。見られる方もどうしていいか分からなくなると思う。

 奈良県にあったその美容院には、前述したようなことで気を遣うことはあまりなかった。むしろ僕から話題を提供というか、喋りたいと思う雰囲気だった。僕の髪をいつも切ってくれていたのは、おそらく当時40代くらいの小柄な男性だった。てっきり店長なんだろうと勝手に思っていたら、実はマネージャーだったと教えてもらうまでに時間はかからなかった。共通の趣味だったバイクの話でよく盛り上がった。僕はほとんどバイクを自らいじることはせず、乗って走ることに喜びを見出していたけど、マネージャーは排気量は大きくない車種に細々としたドレスアップを施しているとのことだった。お互いの知らない情報を交換し合うように、来店する度に前回からそれまであったことを色々と打ち明けていた。

 バイクの話だけに留まらなかった。当時の僕の人間関係についての疑問や悩み、特に異性についての話も時々するようになった。おそらく年齢的に約2倍の年月を経ているであろうマネージャーの考えを聞いたりもした。お客さんだからどこまで本音で話してくれていたのかは分からない。でも適当にはぐらかされている気持ちにはならなかった。僕の考えを否定することは決してなかったが、筋道立てて彼の正直な考えを喋ってくれていたと思う。僕はあまり他人の話に素直に耳を傾けるタイプの人間ではないと思っているが、その美容院で過ごす時間はリラックスできていた。自分と全く同じではない考えも、一旦咀嚼してみることができた。それらに習って行動するかどうかは後で決めればいいと思っていた。選択肢は多い方がいいし、単純に髪の毛を切るという目的以上に充実した時間を過ごせていた。

 大学を卒業した後に何回か通った後は、個人的な理由でその店に通うことはなくなった。今でもまだ営業を続けているだろうか。マネージャーはまだ誰かの髪の毛を切り続けているだろうか。四六時中頭のどこか片隅にあるわけではないけど、文章に書いて思い出すことで懐かしい気持ちが蘇ってくる。

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