希望は、ある

 どんな絶望的な状況にあっても、決して諦めない。身も心も限界まで擦り減らしながら、闘い続ける。そんな姿を映画館や借りてきたDVDから流れる映像で目にしてきた。映画の世界と現実は違うじゃないか、という人もいるだろう。もちろん想像と現実の世界は違う。ただ共通していることもあると思う。それは、人は希望を持ちたい、ということだ。

 望みもなく心の底から世界に絶望し切っているなら、作品に込めるだけのエネルギーが湧いてくるだろうか。僕は映画監督でもないし、脚本家でもない。敢えていうなら、出演者は自分とその時々出会う人々。撮り直しのできない、壮大なノンフィクションのワンカット作品と言ったところか。映画を観るように、アーティストが作った曲を聴いて、喜怒哀楽の感情が溢れる。悲しいことがあると、言葉にできない自分の気持ちを代弁してくれる曲を聴く。悲しいままでいたいんじゃなく、涙が枯れきった後にまた前を向けるように。

 疲れきって電車でうとうとする。ワイヤレスイヤホンで何気なく聴いている曲。これまで何度も繰り返し聴いたはずなのに、突然はっとする。自分は誰かに伝えたい気持ちがあったんだと。家の近くの花屋によって、控えめな花束を繕ってもらおう。玄関を開けてあの人と目が会ったら、優しく抱きしめよう。

 久し振りにあった高校の友達。そう言えば当時、クラスの気になっていた女の子とのデートに付いてきてもらったっけ。なぜかその子は、彼女を気になっている別の同級生を連れてきた。そいつも来るなんて聞いてなかったから、何だかつまらなくなって、全然楽しくなかったな。解散した後、付いてきてくれた友達と焼肉の食べ放題に行って、食べ過ぎてトイレにしばらく籠もったな。その頃はよくHYを聞いていた。真剣に誰かを愛したことがなかったから、きっと胸が苦しいとかってこんな感じなのかな、って想像していた。

 ウォークマンを使い出して、曲をたくさん持ち運べるようになった。片っ端から好きな曲を詰め込んだ。好きな映画のサウンドトラックも取り込んだ。感動した場面を思い出して、ひとり公園で物思いに耽った。少ししんみりした後は、また明日もがんばろう、と言い聞かせて家に帰る。母が作ってくれる夕食と、家族の笑顔が擦れた心の溝を埋めてくれる。

 フィクションと現実は違う。どれだけ大変な状況でも、人は希望を語る。持ちたいと思っている。立ち上がって、歩き続けたいと思っている。今は打ちのめされて不安に押し潰されていても。少なくとも僕はそう思っている。だから僕は、いつだって希望はあると強く信じて明日も生きていく。

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