音楽の隣で

 数万の観客が、ステージのアーティストを見つめる。ある人は大声でパフォーマンスに合わせて叫ぶ。ある人は演奏に静かに耳を傾ける。またある人は、時々目を閉じて音楽に釣られ、目に涙を浮かべる。音楽が鳴って皆が耳を傾けている時は、きっと他の誰のことも憎まず、羨まずただ純粋にその場の空気に浸っていられるんだろうか。下北沢の小さなライブハウスでも、大きな野外ステージでも、音楽が奏でられるその間は、エネルギーや思いが同じ方向に向かって流れているのか。束の間、平穏はそこにあるのか。

 小学校の音楽の授業。出された課題は、グループを作って楽器の演奏や唄を歌うことだった。楽器や曲を何にするかは自分達で決めてよかった。僕は仲のよかった友達と2人で、Kinki Kidsの「硝子の少年」を選んだ。僕が歌い、友達はエレクトーンで曲を演奏する。振り付けを映像で確認し、練習を繰り返した。恥ずかしかったけど、先生は応援してくれたのでその気になる。Kinki Kidsと言えば、当時かなり流行っていたし、曲はみんな知っていたので、どんな反応があるかすごく気になった。

 発表当日、授業で音楽室に集まった僕らは順番を決めて出番を待っていた。音楽室には、おそらくほとんどの小学校がそうであるように、有名な音楽家の肖像画が壁に並んでいた。ベートーベンの視線がやけに鋭く恐かったのを覚えている。

 順番が回ってきた。皆の前に立ち、キーボード手前でスタンバイする友達に目配せをして演奏開始。実際の曲よりも大人しめの音で演奏が始まる。必死に覚えた振り付けを、赤面しながら何とか続ける。声が全然出ていない。多分、みんなにはほとんど聞こえていなかっただろう。流暢なキーボードの演奏が続き、僕らの発表は終わった。拍手を浴びて、達成感を味わっていたら、友達に「キーボードうまいね」とクラスの皆が駆け寄った。「あれ、俺じゃないのね」と落胆したが、先生はよかったと言ってくれたので、それで充分だ。

 そう言えばその音楽の授業の後も、登校直後の朝の会で、クラスで曲を決めて皆で歌ったりしたっけ。クラスの女子生徒が中心となって、なぜかGLAYやL’Arc~en~Cielを好んで歌うはめになった。朝から元気に歌えるはずもなく、その試みはあまりうまくいったとは言えない。

 そして現在、音楽に触れる窓口は様々になった。ひとりでも、大勢でも、テレビやCDプレーヤーがなくとも、どこでも楽しめる時代になっている。そもそもCDは売れない、なんてことも言われるぐらいだ。僕はフェスや大きなステージでの音楽ライブは観たことがない。冒頭の文章は、想像で書いてみたのだけど、そうであったらいいなと思っている。人間は一人ひとり違うから、考えや生き方の違いで衝突することもある。でも音楽が鳴ったら、立ち止まって耳を澄ましてほしい。その曲は、きっとどこかであの人も聴いているかもしれない。微笑みを浮かべながら。

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