400
この記事はこのブログをやり始めてから400個目になる。最初の記事を書いてから既に1年以上が経っている。最初は1記事で500文字を何とか書いていたけど、今は文字数を1,500以上と決めて書いている。WordPressが記事の文字量を自動で判定してくれるのだけど、1,500文字では全然足りないと判断される。採点までされて、いつも100点満点中45点という点数が続いている。継続は力なりというけど、自分でも400記事を書き続けたことを少しだけ褒めたい。少しだけ褒めたら、後はもっといい文章を書くことだけを考えよう。いい文章を書くことができれば、より自分の考えていることを客観的に知ることができるし、それを誰かにより明確に伝えられるようになることを期待している。
期待すると言えば僕の悪い癖だと思っているのだけど、確定してもいないことを事実だと勝手に思い込んで一喜一憂することがある。でもそれが良いことか悪いことかと問われたらどちらでもないとは思う。物事全てが自分の思い通りになるわけではないと分かっているつもりでも、実は状況は自分が期待している通りになるんじゃないかと考えている。そして妄想は膨らみ続けて、時間的にも結構先の未来まで見据えていることがある。想像力を膨らませて考えるのは大切なことだ。ただ自分の思い通りにならないことで毎回同じように落ち込んでいては、自分が辛い。側でそんな様子を見ている人達も心穏やかではいられないだろう。
「こうだったら良かったのに」とか「こうなると思っていたのに」という言葉はすぐには口に出さない方がいい気がする。一度でも発してしまうと芋づる式に次から次へとネガティブな暗示を自らに繰り返すことになりがちだからだ。頭を掻きむしって髪の毛をぐちゃぐちゃに払いまくって、顔をしかめながら下を向いている僕が頭の中でうずくまっている姿が見える。そんな時また自分は同じことを繰り返しているなと呆れてしまう。でも波風立った心の動きが収まるのを静かに待っていると、時間がかかったとしても冷静な自分を取り戻せる。苛立っている自分を少しだけ上の方から、何も考えていないような眼差しでじっと見つめ続けている。その彼もまた自分自身だ。
常に冷静沈着でいなければと根拠もなく思っていた。感情的になるのは子どものすることだと。心を持たないロボットにはなれないと分かっているはずなのに、平気な素振りをしていた。大学生の時に「他人に興味がなさそうに見えるけど、話をすると人懐っこいね」と先輩に言われたことを思い出した。自分から初対面の人に話をするのは今でも苦手だ。それでも昔よりは和を乱さないように、最低限の言葉を交わすようには心掛けているつもりでいる。他人に興味がなさそうに見えると言われたのは、本当にそういう人間だったからという言い方もできる。他人よりも自分の行いや言葉に意識が向き過ぎていたんだと思う。自分以外の誰かと関わることで、その相手のことを知るだけではなくて自分のこともより深く知ることができると知っていたなら、今の僕も今とは少し違っていただろうか。
今の僕が今と少し違っていたら、今の僕はここにはいないし今の生活もないかもしれない。だから僕が今の僕であることに何の悔いもない。自分が価値ある人間だと気付かせてくれる人が側にいるから、どんなことがあっても何度でも前を向いて歩いていける。人間には感情があって、それはとても尊いものだと教えてくれる。千の言葉も、たった一度の涙には叶わないことがある。言葉が見つからない時は何も言わずにそっと抱きしめればいい。真っ直ぐでも迂回しても、思いは必ず通じると信じさせてくれる。随分強くなれたと思う。でもそれは自分1人の力だけではなかった。誰かと比べるのでもない。僕は誰よりも僕自身のことを信じている。心に思うことが途切れない限り、僕はこれからも書き続ける。