徐々に、そして急に

 iPhoneで撮り溜めた写真や動画を見返していた。一番古い物の日付は2015年の8月だ。僕は当時既に上京して生活していたけど、その写真には休暇を取って親戚一同で集まりバーベキューをした時の様子が収まっている。そこには去年亡くなった祖父の元気な姿も写っている。僕は黒いタンクトップを着て筋肉を意識したポーズばかりしている。特別ゴリマッチョでもないのにだ。もうその頃から筋肉への執着は始まっていたんだと思う。今年の夏はまた当時のように皆で集まれるだろうか。祖父の初盆があるから、状況が許せば絶好の機会になりそうだ。故人の為に集まるのに絶好の機会なんて言うのは縁起でもないかもしれないが、祖父は誰よりも皆が集まっている場に交じるのが好きだったから、目には見えなくてもきっと一緒に楽しい時間を過ごしてくれると思っている。

 息子が写っている写真や動画を集めたアルバムがある。息子が生まれた後だけではなくて、妊娠が分かったその日から撮り溜めた物の数が既に800以上になっている。一番最初に撮ったのは、妊娠が分かって最初のエコー画像だった。プリントアウトされたそれを極力真っ直ぐになるように用紙の癖を直した。そしてiPhoneで真上から外枠ぎりぎりが収まるように狙ってシャッターボタンを押した。アルファベットのCの文字、あるいは視力検査で見つめる不完全な丸とでも言えば分かると思う。決して鮮明とは言えないけど、確かにそこには小さな命が宿っているであろう形跡を見て取ることができた。それから既に1年半以上が経過しようとしている。10ヶ月があっと言う間と言えるのは、今だからこそだ。

 撮影したのはエコー画像だけではない。妻のお腹が大きくなり出した頃から、1〜2週間に一度の頻度で妻の腹部の様子も収めた。ちょうど1年前の今日、2020年の2月15日に撮った写真とその前の週に撮った物を見比べてみる。1週間前は何となく下腹部が膨らんでいるようにしか見えていなかったのが、明らかにお腹の中で何かが形を成して育っていることが目視で分かるようになっている。僕がお腹に触って胎動を感じたのはもう少し先のことだけど、想像以上のお腹の大きさに驚いて興奮していたのを覚えている。3月に入ると更にお腹の形が変化して、身体の前方にお腹を突き出しているような格好になっていた。妻が重たいであろうお腹を抱えていても、自分にはそれを外から眺めることしかできなかった。僕が腰を痛めても、その分の痛みが妻から取り除かれることはない。僕にできることは多くなかったと思うけど、それでも在宅勤務が始まったのは本当に救いだった。

 世界が未知のウイルスによって混沌としている中、在宅勤務に慣れて仕事と家事を両立できるようになっていた。仕事の合間に日用品や食料品を何度も買いに出掛けた。すぐ側に身内が住んでいるわけではないから、動ける自分ができるだけやらねばと気を張っていたんだと思う。10ヶ月間ずっと興奮し続けていて、きっと疲労は毎日溜まっていたのだろうけど、子どもと過ごす日々を想像しながら歩いた。妻のお腹に手を当てる。もこっとした感触が手のひらから伝わってくる。それは今まで感じたことのない動きだった。内側から恐る恐る外の様子を探るようなゆっくりとした動きだった。そうかと思えば、まるでその一点目掛けて何度も蹴るような動きも感じられた。お腹に向かって呼びかける。中で聞こえていたのかは分からない。確認しようがない。生まれた後に聞いても直接は教えてくれないだろう。

 10ヶ月間で僕は父親になる準備を終えられただろうか。今更そんなことを考えても仕方ないのだけど、もし幸運なことにまた子どもを授かることができたなら、今度はより実りの多い10ヶ月にしたいと思う。そもそも妻と息子と3人でいるだけでも充実した日々を過ごせている。新しい発見もあるし、親として人として考える機会も与えられている。大変な時期は続くし、楽になったと思っていた次の日には手が掛かったりする。楽しいことばかりではない。心配になったり不安が覆い被さることもある。息子がまだ自分では何一つできないくらい小さかった去年の姿を思い出しながら、少し大きくなった手のひらに僕の人差し指をそっと置く。開いていた指が徐々に閉じ出して、急にぎゅっと握ってくる。眠っている息子に「毎日ありがとう」と伝えたい。

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