それを使う人の為に
僕がプライベートで使い続けているiPhoneも、MacBook Proも特定の機能を持った道具だ。自分で得た収入の中から、企業が決めた価値に見合う金銭と引き換えに手元に置いて使っている。それはスマホやパソコンに限った話ではない。毎日僕が口にする料理の為に使う器具や、部屋を清潔に保つ為に動いている電化製品もそれぞれの価値に見合った金銭と交換で手にしてきた。このブログの記事は、一旦Googleのドキュメントに下書きとして入力し何度か見直した後、WordPressに貼り付けて投稿している。使っているそのGoogleのサービス自体は無料だ。彼らからサービスを使う為の価格を提示されて、それ相応の対価を直接僕が支払うことは今のところない。それも有料ではないにしろ、特定の機能を果たす為の道具であるということに変わりない。
有料か無料かに関わらず、道具というのは基本的に使う人の為にあると思っている。自分以外の誰かがこういう物があったらいいと思ったり、自分自身がこういう物を使いたいと思える物が、度重なる試行錯誤を得て形になり世に出る。中にはもしかしたら僕が知らないだけで、商品としてではなく完全に個人が普段使いの為だけに作った道具というのもどこかにあるかもしれない。アイデアは大掛かりな研究施設の中からしか出てこないわけではない。むしろ何気ない生活の中からの方が、思い掛けない考えや発想が出てくることもあるはずだ。そして一旦世に出て誰かが使い始めたからと言って、その道具がそれで完成を迎えたことになるとは限らない。
たくさんの人に使われることで、作った人達でも気が付かなかったことが分かることがある。そしてその度に不満に思っていた点を直したり、もっと改善した方がいい点があれば、それらを取り入れてより良い道具に進化させることもある。人間という不完全な生き物が作り出すのだから、その道具もまた完璧な物にはなり得ないかもしれないが、少しでも完璧と感じられる物を目指して頭と身体を使い続けている人達がいる。僕が直接彼ら彼女らに会う機会は限られるし、使っている道具を作った人の顔を知らずに一生を終えることが多々あるだろうけど、自分がいいと思う道具を作った人々には敬意を払いたい。そしてそれらが世に出続ける限り、対価を払って手元に置いておきたいと思っている。
去年から続いている在宅勤務には、パソコンが欠かせない。プライベートで使う感覚ではもちろん使えず、あくまでも仕事の為だけの使用に限られる。パソコン上での作業には、 ウェブ上のツールも必須だ。定期的にアップデートされるらしく、最近もアップデートされたばかりだった。アップデートと言えば聞こえはいいが、実際の使用感は正直酷い。はっきりと言ってしまえば仕事にならないレベルだ。そもそもアップデート前のツールでも、僕は充分快適に作業ができていた。だからそれをアップデートする必要性を僕個人は感じていなかった。アップデートするかどうかの決定権は、当然ながら僕個人にないのは分かり切っているけど、定期的に行っているからというだけの理由でアップデートするのは気紛れとしか思えない。
会社の方針でアップデートされることに文句は言えない。その立場で仕事をすると決めたのは自分自身だからだ。既存のツールで都合が悪かった点があるのなら、使う人のことを考えてそれらを修正するのは自然なことだ。でも悪かった点があるように、良かった点もあるはずだ。それは実際に普段使っている自分と、同じツールを使っている人達が一番感じているはずだ。それらを参考にした上でアップデートされたかどうかは、新しいものをある程度使えば大なり小なり感じられると思う。結果から言えば僕は全く改善されたとは感じなかった。感じたのは使い辛いというストレスだけ。文句があるなら自分で作ればいいと誰かが言いそうだが、使う人のニーズを満たすのがプロの仕事と定義すれば、役目を果たしていないことになる。
ただ結局のところはどれだけ文句を言っても、直接の影響力を一切持たない自分の力量不足に尽きる。他人は変えられないのだから、僕はそれらを元に自分で考え、自分自身の行動を変える糧にし続ける。