地を這う翼
一人暮らしをしていた部屋と、通っていた大学のちょうど中間地点にそのバイクショップはあった。青い看板にホンダのロゴが入っていて、大きくはなかったけど親切に対応してくれた記憶がある。その店で僕が初めて買ったのは排気量が50ccのグレーと黒のスーパーカブだった。大学に通い出した頃は自転車を漕いでいたけど、少し金銭に余裕ができた段階でローンを組んで購入することにした。単純にバイクに乗りたかったという願望が強くて、毎月の支払いは楽ではなかったけど何とか維持し続けた。大学を卒業してからもしばらくは実家に置いてあって、家にいる誰かが乗っていたけど最終的には僕を含めて誰も触らなくなったので処分することになった。でも後々乗ることになる大型バイクにはない魅力がたくさん詰まった乗り物だった。
先輩が乗っていたのが、僕が買ったのよりも一回り小さい白と濃い緑のカブだった。スーパーカブと聞いて大抵の人がイメージする色だと思う。僕は緑色が好きではなかったし、その先自分が乗るであろう大型のバイクをイメージして、色だけでもかっこいい物にしたかった。先輩が走らせるそれにも跨ったけど、体格的に少し窮屈に感じていたので通常サイズの物を選んだ。特別自分のことを運動神経がいいとは思っていないけど、それでも取り回しに苦労することはなかった。押して歩くことを考えても車体は重くないし、ガソリンを入れるにしても数リットルしかタンクには入らないから時間がかからない。燃費が良いから、時間があれば当てもなく走り続けて何度もガソリンスタンドで給油していた。
エンジンを始動させるのに、ペダルを踏み込んだのはそのスーパーカブが最初で最後かもしれない。暑い夏ならまだしも、寒い冬はペダルを踏み込むだけでは中々エンジンが掛からず、体重を乗せて何度もペダルに足を乗せた。口から吐き出される白い吐息と、マフラーから漏れる暖気が重なる。あまり雪が降る街ではなかったけど、早朝の日陰やマンホールの上を通る時には一瞬息を止めた。多少乱暴にアクセルを操作したとしても、身体ごとひっくり返るような恐怖を感じることはなかった。その穏やかさがいつまでも走り続けたいと思わせる要因だった。変速ペダルが備わっていたけど、僕がイメージしていたバイクのイメージとは違って、積極的に変速を繰り返してがつがつと走る乗り物ではないなと感じた。原動機付自転車の名の通り、エンジンが備わっているだけで、基本は自分でペダルを漕がない自転車と捉えられる。
頻繁に走っていたからエンジンオイルの交換も定められた距離ごとにきっちり店に通って頼んでいた。オイル交換が終わるのを待っている間に、事務所のガラスに貼られたホンダの大型バイクのポスターを見ながら、今の自分ではそのどれも購入して走ることはできそうにないという現実と向き合わずにはいられなかった。エンジンオイルは綺麗になって、バイク自体の走りも少し軽やかになった気がしていたけど、理想を叶えられないもどかしい気持ちが晴れることはなかった。でもそれを極端に後ろ向きに捉えることもなかった。学生としてやるべきこと、その時期にしかできないことは何かということはずっと考えていたし、それは自分の乗りたいバイクに無理して乗ることではないと思っていた。とは言ってもバイトをたくさんしていたわけでもないし、四六時中手も足も塞がっていたわけでもない。やろうと思えばもっと働いて、お金を貯めて乗りたいと思うバイクを購入することは不可能ではないはずだった。要はそこまでの気力が当時の自分にはなかっただけだ。
雨の日もビニールの雨合羽を着て運転した。泥除けが付いてたから靴が汚れることはなかったけど、上から落ちてくる雨はどうしようもない。ビニールの表面をつたって足元まで降りてきた雨粒が、防水性のないスニーカーを湿らせていた。まだ乾いている間は濡れないで欲しいと思っているけど、一度濡れてしまうと諦めるしかなかった。足元が冷たく気持ちの悪いまま1日を過ごして、またカブのハンドルを握り家に帰る。アスファルトの雨を飛沫にして巻き上げる。翼のエンブレムは空を飛ばない。でもどこまでも駆けて行ける気がしていた。