毎年3日じゃなかった
平日のど真ん中だ。玄関を入ってすぐ左手にある木製の靴箱の上半分に収まっているのは、靴ではなくDIYに使うような資材や工具だ。その中から折り重なった新聞紙を1枚引っ張り出す。そしてそれを広げたら床の上に敷く。息子のお食い初めの時に使った木製の小さなお椀に、炒り大豆を20粒くらい取り出した。ポケットからiPhoneを取り出したら、画像検索で「鬼」と入力する。何スクロールしても次々と検索結果が表示されるので、一番上に戻って適当な画像を選んだ。中にはあまりにもリアルな造形の物もあって、息子に見せるのを躊躇するくらいだった。節分らしく可愛げがあって、でも一目で鬼と分かる画像を1枚選んでスクショで撮って保存した。スマホの携帯用の三脚にiPhoneを固定して、保存した画像を画面に表示させた。
節分は毎年変わらず2月の3日だと思っていたけど、今年はどうやら3日ではなかったようだ。数年ごとに3日ではなく2日が節分になるとのことだった。恵方巻きのチラシや案内が前日にやかましかったのは、実はその日が節分当日だったから。それを知らずに皆気が早いと勘違いしていたのは僕だけだったかもしれない。節分当日は過ぎてしまっていたけど、姪っ子が鬼のお面を被って豆を父親に投げている楽しそうな画像が送られてきて、自分も何かしようと考えた。仕事がひと段落したから、台所の引き出しから間食用に買っておいた炒り大豆のチャックを開けた。持つとずっしりと重さを感じる。1人で一気に食べるにはあまりにも多いし、もったいない。タンパク質を食事の合間に補給する為に購入していた。香ばしい豆の味しかしないから食べやすい。少しずつ食べても間食としては少なくない量のタンパク質を摂取できる点が気に入っている。
歳の数だけというが、本当に歳の数だけ食べるとなったら息子は0歳だしそもそも離乳食しか食べられない。30代の僕も夕飯前に30粒は少なくない。豆を食べるのがメインではなくて、こういう風習があるんだと息子に伝わればそれでいい。風習と言っても、液晶画面に鬼の顔を映してそれに豆を投げる風習は元々はないが。「鬼は外、福は内」と言いながら息子の顔を覗いてみる。口を半開きにして身体を前に乗り出していた。眉間に皺を寄せて睨みをきかせている画面の中の鬼を、怖がることもなくじっと見つめていた。豆を一粒差し出してみたけど、人差し指で突くだけで掴もうとはしなかった。期待していたリアクションは得られなかったけど、0歳ではまだ何も分からないかもしれない。急に思い付いてやったことだったから、来年はもう少し本格的にやりたいと思った。
更に追加で送られてきた姪っ子が映る動画を再生すると、今度は鬼に扮した父親と豆を互いに投げ合っていた。それはそれで、僕がスマホの画面に鬼を表示させて豆を投げつけるのと同じくらい、斬新な節分の行いだ。鬼だって大人しくただ豆をぶつけられて黙ってはいられないはずだ。鬼なのだから、多少どころかかなりの抵抗をしてきそうな雰囲気がある。島を丸ごと一つ縄張りとするくらいなのだから。元々は人間であった人達も、心の隙を突かれて鬼として生きる道を選ぶことがあるくらいだし。そもそも彼らの場合は豆を投げ当てたとしても倒せないだろう。太陽の光を思いっきり浴びた大豆を人外の力で投げれば、あるいは倒せるのかもしれない。今のところは桃太郎も鬼殺隊も、豆を武器にして鬼とは戦わない。
100円ショップに出かけた時に、鬼の金棒が赤と白の2色で売っていた。子どもでも持ち運びしやすく、持ち手も尖っていないので安全だ。重たくないから軽い力で振ることもできる。それを買って、艶ありの黒で塗ってしまったらどうだろうか。赤い全身タイツと縞々のトランクスを履くのもいい。髪は地毛の黒のままでいい。想像はどこまでも膨らむ。息子は喜んでくれるだろうか。少し怖がる顔も見てみたい。食べられる豆は1粒だけだから、僕の分を少し譲ろう。今から楽しみだ。