読書の深淵
今のところ、僕達は同じ人間として2回生まれて生き直すことはできない。死んだ後に僕達がどこに向かうのか、本当のところは誰にも分からない。そして人生のどこかの時点で、与えられた人生が一度きりの機会であることに気付く。気付かない人もいる。気付いたことを機に生き方を改めることもあるし、今のままでいることもあるだろう。唯一の正解はないから、結果的に皆それぞれ思うように生きていく。
2度目がなくて、生き直すことが出来ないとわかっているから、できるだけ取りこぼしはしたくないと思う。取りこぼしというか、自分にとって最大限の機会や経験を得て、人間として習熟し幸せを思いきり噛み締めたい。じゃあどうすればいいか?僕の場合は読書によって、ある程度足りない部分を補っている。
本は昔から好きだった。自己啓発書は自分から進んで買って読んでいたが、小説に関していうとあまり進んで読んではいなかった。小説が嫌いなわけではない。自己啓発書に比べると比較的文字数が多いし、作家によって読み進めやすいものとそうでないものがあった。単純に単行本の値段が、当時の僕には少し高く感じたことも理由のひとつだ。
東京に来てからは、小説に手を出す機会が増えた。定期的に読んでいたわけではないけど、本屋が好きだったし店頭で目立つ書籍には冒頭だけ少し目を通し、印象に残ったら買って読んでいた。現在は村上春樹さんや又吉直樹さんの書籍を中心に、小説を読む割合が圧倒的に増えた。どちらも妻が好きな作家だったこともあり、勧められて読んでおもしろいと感じるようになった。
村上春樹さんは不思議な世界感と、一風変わった特徴的な登場人物が多い。それとは対照的に、又吉直樹さんの書籍は現実世界で起っている出来事や生きている生身の人間から着想を得ることで、本質に迫っているように感じる。個々の作品の詳細は省くが、どちらの書籍もアプローチの方法は違えど、人が生きていく上での本質を露わにするような作品だと僕は思っている。
何か考え事をする時、本質が何かを常に考える。自分のことも周りの人間のことも含め、言葉じりやマスメディアで見聞きする情報を鵜呑みにしないように意識している。本質を見抜く為に、僕の場合は本を読むことが少なからず貢献していると思う。視覚で分かる情報といえば、紙に書かれている活字のみ。目に見える情報は限られているが、そこから何を読み取るかは読者それぞれ。好きな本なら何度も読むし、読む度に印象が違うこともある。初めて読んだ時には気付かなかったこともある。
読書はこれからも続けていく。電子書籍も便利でいいが、僕は紙の質感や匂いが好きだ。本に出てくる登場人物に降りかかる出来事と、湧き起こる感情を擬似体験し積み重ねる中で、その深みで待っている本当の自分の姿を探し続けている。