ワープロとフロッピー

 手書きの文字ではなく、キーボードを叩いて初めて文字を入力したのは、実家の押し入れにあったワードプロセッサを使った時だった。今はもうスマホやMacBookの高精細な画面に見慣れてしまっているけど、当時のそれで表示されていたのは、白と黒の2色だけだった。小さいとは言えない画面は、子どもが1人で持ち運ぶにはとても重たい箱型の機械の一部になっていて、それとは別にケーブルで繋がれたキーボードが用意されていた。ワードプロセッサの文字通り、それは文字を入力する為だけの機械だった。1つの端末に複数の機能を持たせるのが当たり前になった現代では、ちょっと考えられないような仕様だ。人間だって生まれた時は何一つ自分1人の力ではできなかった。そんな人間が作るのだから、一番最初に文字を画面上で入力することを思い付いたことも当然のことではなく、歴史が積み重なって今僕が使っている道具になっている。

 そのワープロは父が使っていた物らしい。本人がそう言っていたから疑いの余地はない。ただ家に父がいる時にそれを使っている光景を見た記憶はほとんどない。父の職業を考えても、ワープロが必要な仕事には思えなかったのだけど、子どもには分からない事情があったのかもしれない。ワープロと一緒に、透明なプラスチックケースにフロッピーディスクが何枚も重なって収納されていた。シールになっているであろう白いラベルに、当時の僕には読めない難しい漢字でタイトルが書かれている。中身はおそらく父の仕事関係のデータだと思う。そして勝手にいじって中身が変わってしまうと、父が困ることは子どもの僕でも何となく想像ができた。入力して画面上に表示された文字達をただ眺めるだけで終わることはない。僕が時々読んでいる小説だって、画面上に打ち込んだだけでは他の人間に読んでもらうことは叶わない。紙に印刷したり、ワープロとは別の記憶媒体にデータを移して持ち出すこともある。

 フロッピーに限らず、僕が社会人になって数年働く間は、パソコン本体とは別の記憶媒体を使ってデータを持ち運ぶことが普通だった。小学生の時は学校でフロッピーを使うことはなく、家のワープロを少し触る程度だったけど、中学生になった時には授業で使うようになった。真っ白いマグカップに、好きなイラストをパソコン上で描いて印刷するという内容だった。僕は当時好きだったバスケットボール選手を描いてフロッピーに保存した。出来上がったマグカップ自体は今も実家の食器棚に並んでいて、自分で使うこともある。その授業自体は特別楽しいとは思っていなかったし、今ほど電子機器に興味も持っていなかった。パソコンが動く仕組みがよく分からなったし、保存したはずのデータがうまく読み込めなくなって、最初から描き直したりもした。

 高校生の時はほとんど使う機会がなかったけど、大学生になると作成した課題をフロッピーに保存することが劇的に増えた。その時にはスティック型の小さな記憶媒体も使い始めていたけど、授業で指定されていたのはフロッピーだった。薄いから持ち運びに場所を取ることはない。ただ記憶できる容量が、パソコン本体やUSBメモリに比べると圧倒的に少ないという難点もあった。私物のパソコンで欲張って作成したデータをフロッピーに移すと、すぐに容量の上限に迫ってしまうから、授業以外で使うことはなかった。大学を卒業して働き始めると、文字だけではなくて写真や動画も扱うようになった。折り畳みの携帯電話から買い替えたiPhoneでは、本体にデータを残せるようになったし、音楽データも溜め込めるようになった。文字入力しかできない端末を使うという選択肢は、僕の中から完全に消えていた。

 そして現在は、iPhoneとMacBook以外の記憶媒体は使っていない。スティック型のUSBメモリは鞄のポケットに入ってはいるけど、それを使う場面は限られる。書類を印刷したい時に、データを移してコンビニに行ったりするくらいだ。家にプリンターを用意することはしていない。文字入力しかできなかった重たい箱から、薄い本体をノートのように折り畳んで使えて、文字入力はその機能のほんの一部分となった。手に持つ物は少なくなって、できることは更にこれから増えていくだろう。色褪せたあのワープロはもう押し入れの中にない。フロッピーも処分してしまったはずだ。今使っている物も、近い未来には過去に使っていた物になっていく。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

未分類

前の記事

父と母のバランス
未分類

次の記事

食べるに慣れる途中