父と母のバランス
当たり前の話だが、僕の父と母は元々は他人だった。それぞれ生まれた時から、お互いが出会うことになるとは、これっぽっちも想像していなかったと思う。そして2人が生きて年月を重ねる度に、知らない間に少しずつ距離が近くなっていったはずだ。そこには言葉では説明のできない不思議な力が働いていたに違いない。なぜなら自分がこれから働くことになる職場に、将来の結婚相手がいると誰が確信できるだろうか。もちろんどんな人達と一緒に仕事をすることになるのかも分からない状態なのにだ。1人前に作業をこなすことで頭が一杯になっていてもおかしくはない。結果的にはいわゆる職場恋愛に分類されるとは思うが、あくまでも蓋を開けてみたらそうなっていたというだけの話だ。最初から決められていたんだろうか。誰が決めたんだろうか。確かなことは2人が愛し合って、そしてその結果僕がここに存在しているということだ。
年齢で言えば僕の父は母よりも年上だ。高校を卒業してすぐ就職して、母と出会うことになる職場で先に働き始めていた。母も高校を卒業して父が働く企業に就職したそうだ。2人が働いていた大型のショッピングセンターはもうない。何せ僕が生まれる前の話だ。僕が物心付いた頃には、専業主婦だった母と一緒に父の仕事場に行っては、買い物ついでに父を探して歩いた。毎回顔を見れるわけではない。きっと忙しかったんだと思う。他の客もいるから、自分の息子が来ているからと言ってゆっくり相手はしていられない。会えない時でも、店内放送で父が苗字で呼ばれているのを聞くと何だか安心した。店名の印字されたビニール袋を車まで運んで帰路に着いた。
父が感情的になる姿をほとんど見たことがない。仕事で疲れて帰ってきても、僕の話をめんどくさがらずに聞いてくれたし、休みの日には遊びに連れて行ってくれた。はっきり覚えてはいないのだけど、僕がまだ小さい時には会社の社員旅行にも同行させてくれたらしい。実家の押し入れの中で眠っているアルバムの中に、ピースをして笑っている旅行中の僕が写る写真がある。普段よりも少しだけ整った格好をしていた。別の写真には、カラオケの機械を前にしてマイク片手に歌っている父の足元にくっ付いている1枚もあった。母に任せてもよかったのにと写真を見る度に思うけど、もし自分も同じ状況になったとしたら、息子を連れて一緒に出かけていたと思う。在宅勤務でコロナ禍の今なら、外に働きに出ていた当時の父よりは僕の方が自分の子どもと長くいられる。それでも時々は仕事が手放せないことがあって、その度に息子が何かを訴えるようにこちらを見つめてくる。
普段は滅多なことで怒らない父が、感情的になった時は片手で数える程しかない。僕と僕の弟が兄弟喧嘩をした日のこと。仕事から帰った父に、母がことの顛末を説明したようだった。説明と言っても、何か普段の争いと特別違うことはない。大声を出し合って、既に寝ていた他の家族を起こしてしまっていた。いい加減にしろと怒鳴られ、服を掴まれて玄関から放り出された。当時の僕は、両親が弟に接する態度が甘いんじゃないかと不満に思っていた。実際は甘いのではなくて兄弟でも人格はそれぞれ違うのだから、接し方も全く同じにはならないというだけの話だった。先に生まれた人間にはできても、後に生まれた人間にとっては難しいこともある。それは肉体的な部分だけではなくて、精神的な部分も含めてだ。当時の僕に足りなかったのは、その違いを考える想像力だった。
いくら厳しく叱ったとしても、父も母も鬼ではない。しょぼくれて夜の闇をぼーっと見つめていると、玄関の鍵が中から開く音がして何も言わずに中に入れと促してくれた。僕が一番覚えているのはその時のことだ。他にもあったかもしれない。でも父が声を荒げている記憶を他には思い出せない。兄弟でも人格が違うと言ったが、夫婦なら尚更だろう。2人とも厳しいとか、2人とも優しいだけではバランスが良いとは言えない。そう考えると僕の両親はバランスがとても良かったんだと思う。母はそこまで計算して行動する人ではないけど、その反面とても素直な人だ。そんな母の気持ちを汲み取りながら、僕らを育ててくれた。ありがとう。