記憶は心に、記録はテープに

 かつてピアノが置いてあった部屋の横には、一箇所だけ凹んでいる扉の付いた押し入れがある。その凹みがなぜそこにあるのかは、また別の機会に話したいと思っている。目の前に置かれた古い掃除機を横に移動させて、扉を開けて中がどうなっているのかを確かめる。太陽の光が射し込むことがないからか、少し湿っぽい匂いがする。でもカビ臭いわけでもない。その押し入れには、基本的にもう今は誰もほとんど使っていない物しか入っていない。ほとんどと言ったのは、全く誰もそこから何かを持ち出さないとは言い切れないからだ。スポーツメーカーのロゴが入ったリュックサックや鞄が数点あったり、誰が写っているのか検討も付かないような見た目の古臭いアルバムがあったり、プラスチックの籠の中には透明なケースに入れられたテープがいくつも収納されていた。

 僕はそれらのテープのことを知っている。そこには僕を含めた家族の過去の映像が記録されている。8mmビデオテープカセットが収まっているケースの背面には、白いラベルで映像の内容を大まかに表すタイトルが付けられている。達筆なそれらは父が書いた物だとすぐに分かる。僕が小さい時の生活の様子や、幼稚園や小学校の節目ごとのイベントの様子が映像として記録されている。今でこそ自分が使うスマホをポケットから取り出して、記録したい場面に出会った時にすぐ撮影することができるけど、当時はそもそも電話機で映像を記録するという発想自体がなかったはずだ。電話機はあくまでも電話をする為だけの機械であって、それ以上でもそれ以下でもなかった。僕が初めて持った携帯電話にもカメラ機能は備わっていたけど、今ほど写真や映像を記録する習慣はなかった。

 当時の僕からすればそれはかなり大きなビデオカメラだった。柔らかい素材で囲われた先端に目を当てて、カメラのレンズに入ってくる映像を覗き見ていた。カメラの上や横には色々とボタンが付いているけど、どれを押したら何が起こるのかさっぱり検討が付かなかった。それでも何となく楽しいことができるんじゃないかと、分からないなりにそれを担いで持ってみる。父は映像に残すのが好きだったんだろうか。今は特別そんな趣味があるようには思えない。でも何かしら形に残るように日々の生活の様子を記録したいと思っていたのなら、その気持ちはとてもよく分かる。自分の子どもが生まれて、毎日スマホで写真や動画を撮り続けている。まだ1年も経っていないのに、写真と動画の合計は365日の倍の数になろうとしている。

 僕は家の近くの海で遊んでいた。妹と一緒に浮き輪を身に付けて波打ち際を行ったり来たりしている。自分から水に足を入れているのに、打ち寄せる波からは声をあげて走って逃げている。まだ3歳くらいだと思う。真夏の太陽に焼かれた砂浜は、裸足で過ごすには熱い。それを知ってか知らずか、きゃっきゃっと言いながらカメラに向かって小走りで近付いてくる。きっと父がカメラを構えているんだろう。優しい声で僕や妹の名前を呼んでいる。父も一緒に遊んでいたんだろうか。カメラを持ったままではそれは難しいだろう。そう言えば画面の中に母の姿が見えない。でもしばらくして画面が切り替わると、堤防の向こうから母が風呂敷きに包まれた何かを持って、こちらに歩いて向かっていた。どうやら自宅で昼ご飯の用意をしていたようだ。解いた風呂敷きからはおにぎりやおかずが出てきて、日陰に入って皆で食べていた。

 カセットを別の物に入れ替える。1980年代の映像の荒さが、却って僕の記憶に鮮明に当時の様子を刻み込んだ。自宅の部屋で過ごしているようだ。父は相変わらずカメラマンをしている。僕らを名前で呼んでいる。妹はまだ自分でやっと立てるかどうかという月齢だった。僕はその隣で独り言のように何かを口ずさみながらおもちゃを触っていた。妹が床についた両手を離して、自分1人で立ち上がろうとしている。それを見ていた僕は何を思ったか、立ち上がってカメラに向かって笑う妹の足の甲を踏み付けていた。満面の笑みを浮かべていた妹の顔は、すぐにくしゃくしゃになって父に何かを訴えているようだった。父が僕に止めるように言っている。別の部屋にいるであろう母の声も聞こえていた。

 僕の息子は、やっと最近になって名前を呼ぶとこちらを見てくれるようになった。スマホで撮り溜めた動画を時々見返していると、僕が息子を呼ぶ声が父にそっくりだと妻が言う。父が以前言っていた。僕に欠点があるとすれば、それは優し過ぎるところかなと。その優しさは父から譲り受けたものであり、誰にでも優しくできるとは思っていないけど、今は大切な人達を思う原動力になっている。

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