放課後の夕日
開け放たれた教室の窓から吹き込む風が、カーテンを静かに揺らしていた。その窓の向こうからは、ウエイトリフティング部とボクシング部に所属して練習する学生達の声が聞こえていた。僕の高校生活は残り半年を切ろうとしていた。卒業後は大学に進学したいという希望があった。得意だった英語をもっと勉強したいと思っていたから。でも僕が英語を勉強することに対して給料を払ってくれる会社も人もいないことは分かっていた。英語を使った何かの仕事に就きたいと漠然と考えていた。それが大学まで行って英語を勉強するつもりの自分が目指すべき道だと根拠もなく思っていた。放課後の教室には西陽が射し込んでいた。眩しい太陽の光を目を細めながら見つめていた。疑わずに真っ直ぐ進めばいいのかもしれない。それが一番安泰な道なのかもしれない。でも一番わくわくする道ではなかった。
学校で座っていた机と椅子は、もしかすると今までで一番簡素な作りのそれらかもしれない。木材の合板に金属製の引き出しと脚が付いている。それが初めて誰かに使われた時には、水平に作られていただろうし、がたつくこともなかったはずだ。でも間違いなくそれは何度も使い込まれ、床に貼り付くような安定感がない。手前や奥に傾いて音を立てる物があったり、引き出しに手を入れると錆で手のひらが茶色くなったりした。学年が上がって最初にするのは、大抵が自分の机や椅子がまともに使えるかどうかのチェックだった。昼食の時間まで空腹を我慢できずに、先生に隠れてこっそり引き出しに弁当箱を忍ばせる。授業中に教科書を机の上に立てて、手元の視界を遮る。引き出しから弁当を取り出して、中身を静かに食べる。そんな学園ドラマに登場しそうな場面を見ることはなかった。
英語を勉強したいと、自分の進路について先生達には話していた。でも本当に英語をそこまで身を入れて習得しようとしていたかと問い詰められたら、首を縦には振れなかったと思う。進学を希望していた国立大学まで見学に行って、センター試験後には大学独自の試験も受けに行った。それはもちろん年が明けてからの話なのだけど、当時の僕が想定していた以上に難関な試験だった。そして必死に勉強したとは到底思えなかったから、それはある意味当然の感触だった。英語を勉強したその先に、はっきりと見えるものがないまま足だけ前に進めたつもりだったけど、どこかに辿り着きそうな予感もなかった。
高校3年になると美術室に出入りするようになった。でも美術部に入ったわけではない。部活動という括りで何かをすることに抵抗があった。絵を描きたいと思った時に美術室に行って、画材を借りて描いていた。クラスメイトに美術部の男子がいて、顧問の先生には許可をもらっていた。描かされているのではなくて、確かに自分の意志で行っているという手応えがあった。本当はそんなことよりも受験勉強に時間を使わなければならなかったのかもしれないが、将来の自分の明確な姿が思い描けないまま時間が過ぎていった。でもその時はまだ、都会の風景や下北沢の街に思いを馳せることはなかった。
放課後の教室は理由もなく特別な空間に感じる。縦横に並んだ机と椅子に座っていた同級生達の気配がまだ微かに残っているからか。それとも卒業してしまえば二度とそこに戻ることはないと、他の誰かがいる時には浮かばなかった気持ちになっているからか。いずれにしろ僕は夕日の色が好きだった。カーテンの色味を暖かくして、触れれば温もりがじわりと伝わるようだった。もうこの先何度も開くことはないであろう教科書達が引き出しに横たわっている。天板もカーテンと同じく夕日に照らされて色味が変わっている。僕はその夕日のように、心をじりじりと燃やしながら生きたかった。湿った灰のように重たくまとわりつくような、そして遠くに靄のかかったような景色を晴らして行きたかった。