校庭の桜と池

 鼠色の制服に身を包んで、一緒に卒業を迎えた同級生達とカメラに向かってポーズを決めている。僕の隣に写っている2人が今どこで何をしているのは知らない。もしかしたらもう二度と会うことはないかもしれないけど、きっとどこかで幸せに暮らしていたらと思う。その写真は小学校の校庭に咲いていた大きな桜の木の前で撮られた物だ。当時通っていた小学校の校舎は数年前に取り壊されて、今は全く新しい建物に生まれ変わっている。実家の目の前を小学生達がランドセルを背負って歩いて行く光景は今も変わらないけど、彼らの姿を昔ほど自分の目で追うことはなくなった。年末に帰省した時には既に小学校は休みに入っていて、開かれてた校門の向こうを見ても、人の姿はほとんど確認できなかった。

 春に満開の花を付けたその大きな樹から、風に揺られて小さな花弁が次々と散り始める。樹のすぐ下には池があった。亀が数匹住んでいたはずだ。魚もいたかもしれない。その水面に、散り始めた桜の花弁が少しずつ落ちていく。花弁は軽く、水面に落ちてもすぐには沈まない。少しずつ花弁が溜まっていって、水面をほとんど覆い隠してしまっていた。樹の方は逆に花弁がどんどん少なくなって、枝の輪郭やその隙間から空が覗けるようになっていた。春風に揺られて、ざわざわと音を立てている。その様子を樹の下から仰ぎ見ていると、顔の上に1枚の花弁が落ちてくる。そしてその薄桃色の春の欠片は、間もなく風に乗って次の目的地まで飛んで行ってしまう。終わりを迎えようとしている春を引き留めたくなっている間に、今度は青葉を見てこれから訪れる夏を思っていた。

 水色の塗装が薄くなったフェンスで囲まれた25mプールがあった。校舎と一緒に新しくなった現在は、外から見えないように作られている。防犯の意味も兼ねてそうなっているのかもしれない。そう言えば当時、真夏の暑い夜になると小学校のプールから水音が時々聞こえてきていた。柵を乗り越えれば誰でもこっそりプールに入ることはできた。柵の高さも大人なら何とか乗り越えられるくらいだったから、事情を知っている誰かが遊んでいたのかもしれない。夜になれば照明も落とされるから、音が聞こえても人影は一切見えなかった。夏休みの間はプールが解放されていて、陽射しの強くなった午後から皆が集まって泳いでいた。学校の水泳の授業で使っている水着を使い回して、決して広いとは言えない水中を泳ぎ回っていた。定期的に鐘が鳴らされる。その音を合図に、小学生達に交じって一緒に遊んでいた高校生くらいのお兄さんお姉さん達の掛け声で、皆が水から上がって休憩を取った。

 読書の秋とは言うけれど、読書習慣は夏休みの宿題の読書感想文を書く為だけのもので、大人になるまでは中々定着しなかった。小さな子ども向けのペンギンのキャラクターが登場する絵本で感想文を書こうと考えたこともあった。その時は学校が再開される間際まで宿題が終わっていなくて、夏休みの間に読み終われないと思ってやったことだった。ただやっぱり絵本で読書感想文を書くのは簡単なことではない。まず1冊に詰まっている情報量が少なくて、あらすじを要約しなくても原稿用紙に余裕で収まる。そして自分で読むと決めた割りに、読んだ後に思うことが少なかった。何とか所定の文字数以上で原稿用紙を埋めて提出したけど、案の定担任の先生からは選んだ本について割と厳しめの聞き取りがなされた。

 夏休みが終わると運動会の練習が始まる。白いシャツにあずき色のズボンを履いて、校庭で砂埃を舞上げながら身体を動かした。膝の部分の生地がすぐに擦り切れてしまって、当て布が何枚も重なっていた。運動会当日は、校庭の周りを囲むように出店が連なって祭りのようだった。当時の小学生には豪華な商品がいくつも店主の背中側の棚に並んでいて、安くはない値段でくじ引きをさせる。いつか当たるはいつまでも当たらない。運動会よりもそちらに熱中する子ども達の姿もあった。気温が下がって外での授業が億劫になる季節。そして来たる冬休みはあっと言う間に終わってしまう。1年も終わる。年末の紅白歌合戦の後は、いつもより少しだけ夜更かしが許されていた。許されたというよりは、親が先に寝た後に眠気に耐えられなくなって布団に潜り込んでいた。

 蕾から花へ、花から青葉へと移り変わりながら校庭で静かに佇んでいた。紅葉の季節も、木枯らしに揺られても変わらずそこに立ち続けていた。過ぎて行く時間と繰り返す季節。水面に浮かぶ桜の花弁が、再び枝に戻ることはもう二度とない。

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