机上の花壇

 真っ白い画用紙に色鉛筆を何色も使って描いていく。全く何もない所から浮かんだのではない。僕が知っている実際に花を咲かす植物の色を、縦に規則正しく並んだ色とりどりの鉛筆を使って再現しようとしていた。緩やかなハート形に外側を囲んでいる。外側から内側にかけて色が変わっていく。色によって違う植物にしたり、同じ花でも色違いの物を使うことを想像している。画用紙の上なら花は無限に用意できるし、再現できない色はないと思えた。机上の空論ならぬ机上の花壇とでも言えばいいのか。いつも眼鏡をかけていた強面の見た目とは裏腹に、その先生は植物を愛し花壇の手入れに余念がなかった。飼育栽培委員というのを任されていた時期に、コンクールに出す為の花壇のデザインを考えていた。

 その花壇は小学校の保健室の裏口から出てすぐの所にあった。自宅から小学校の敷地までの最短コースを通ると、必ず前を通るその花壇がコンクールの評価対象になっていた。今の小学生も同じようなコンクールに参加しているのだろうか。後にも先にも僕があんなに土いじりに夢中になった時期はないと言い切れる。それくらい熱心だった。小学生の僕は引っ込み思案で、目立つ方ではなく内気だった。根暗だったとは思わないが、放課後に友達に誘われても気乗りしないことが多かった。学校から家も近かったし、帰り道では僕が大抵最初に「また明日」と言って皆に手を振っていた。家に帰った後はスーパーファミコンの電源を入れて、対戦格闘ゲームをやったり、下手くそでそれに飽きてくると何をするでもなく気ままに過ごしていた。

 僕が画用紙に描いた花壇には隙間が一切なく花が咲いている。花壇の淵も綺麗に色が付いていて、地面や土の茶色はどこにもなかった。ただもちろん実際の花壇には、草も生えているし土も盛られている。雑草ならばいいかもしれないが、コンクールに出すなら土壌も含めて適切な環境を整えなければならなかった。そしてその整え方を僕は知らなかった。飼育栽培委員になったのは、何も僕にそれ相応の知識があったからではない。皆何かしら担当しなければならなかった。放送委員というのもあって、今考えればとても楽しそうだとは思うけど、1日の節目ごとに学校の放送室から在校生に向かって自分の声を届ける。当時はそれを想像しただけで気後れして、植物相手なら無理に自分から喋る必要もないし大丈夫だろうと思っていた。

 花壇のデザインが決まって、考えた色に合わせた植物も用意された。花壇は巨大とは言えないまでも、自分1人で作業するには効率が悪過ぎる。同じく担当になっていた同級生と先生と一緒に、服や手足を汚しながら花を植え続けた。放課後になってぞろぞろと皆が帰路に着き出す。僕は歩いても数分で家まで帰れると思って黙々と作業を続けていた。1日の授業が終わって開放されたのか、サッカーボールを追いかける声が校庭の方から聞こえてくる。放課後になったことと、帰宅を促す放送委員の声がスピーカーから流れ出す。サッカーボールがゴールネットを揺らしていた。彼らには放課後こそが全てなのだろうか。西陽が射した校庭には、薄く砂埃が舞っていた。本当は彼らに交じって風のように駆け抜けたいとも思っていたけど、僕は走るのが遅かった。

 西陽の色が濃くなり始めても、作業の手を緩めることはなかった。土や花を触っている間は無心になれた。厳密に言えば全く何も考えていなかったわけではないかもしれない。目の前にあるポットをひっくり返して、土ごと花を優しく取り出す。デザインを描いた紙を時々見ながら、そして花壇全体を見渡しながら植える位置を決めていく。花はまだ全開ではなかった。植えてすぐにコンクールの結果が分かるわけではない。植えた直後から始まる水やり、草抜きなどを繰り返していく。その間に花が咲き出して、隙間だと思っていた地面の土を隠していく。花はとっくに植え終わっているのに、花壇を眺めたり草を抜いたりして暗くなるまで家に帰ることはなかった。

 今ほど自分のことを強く信じることはできなかった。気持ちに正直でいることも。それに捉われても仕方がないことも分かっていなかったけど、土を触って花を植えて水をやっている間だけは忘れられた。花はただ咲いている。優劣を付けて欲しいとはたったの一度も頼まれたことはない。美しいという思いは、何かと比べた時にだけ沸き起こる感情ではない。自分の心が美しいと思っているのなら、本当はそれ以上を求める必要はなかった。無心で生きたかった。無限の心を抱いて生きていく。

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