サイドブレーキ
車の運転をするなら車種に関係なく僕は運転席に座りたい。お腹が一杯になっているか、身体を動かして疲れている時だけはハンドルから遠ざかって音楽を聴きながら目をつぶっていたいと思っている。僕が初めて運転した車のサイドブレーキは、自分の手で掴んで手前に引くタイプだった。でもそれ以降色々な車を運転する機会があるけど、カチカチと鳴らしながらレバーを引くことは少なくなっている。自動的にサイドブレーキがかかる車種に乗ったことはない。いつかは乗りたいと思っているけど、僕がこれまで体験した中では大抵が足踏み式のサイドブレーキだ。エンジンをかけた後にドライブにして意気揚々と走り出したはずなのに、何だか気持ちよく進まない。そういう時はほとんどの場合、足元にあるレバーが奥に行ったままで、ブレーキが解除されていない。
サイドブレーキと言えば、僕がまだ幼稚園に通っていた頃の出来事を思い出す。もちろん僕が当時車を運転する機会はなかったし、年齢的にも許されていなかった。父や母が幼稚園まで車で送迎をしてくれていた。父は仕事だったので大抵は母が運転する車で通った。黄色い肩掛け鞄をぶら下げながら、紺色の制服を来て坂の上にあった幼稚園まで車から降りた後に少し歩いた。その幼稚園には僕の妹と弟も通うことになる。ある日のこと、その日もいつものように母の白い軽自動車で幼稚園まで送ってもらって1日を過ごした。その日だったかどうか定かではないが、僕は当時から和菓子が苦手で、おやつの時間に出された柏餅がいつまでも完食できずにいた。食べ終わった他の子ども達は、既に後片付けやら帰りの支度をしていたのに、僕は時間をかけてでも最後まで食べるように先生に言われていた。
なぜ柏餅には葉っぱが付いているんだろう。葉っぱは食べ物ではないだろう。餅と葉っぱを一緒に食べるなんて理解できないと思っていたし、僕は未だに柏餅を含む和菓子全般が苦手なままでいる。おそらく時間をかけて食べ切ったんだろう。もしどうしても食べ切れなかった時はどうなっていたんだろう。もう確かめようのない疑問でしかない。とにかく柏餅を食べ終わって、幼稚園から自宅に帰る時間になった。園庭まで親が入って来て、各クラスの先生が名前を呼びに来ていた。教室の窓からでも園庭の様子は分かるし、自分の親の姿なら多少距離が遠くても来ているかどうかは分かった。朝に車を運転して来た時と同じ格好をした母が立っていた。黄色い鞄の紐は所々生地が色褪せたり破れたりしている。僕はしがみ癖があったらしく、紐を自分自身で知らない間に劣化させていたようだった。
幼稚園の敷地内から出た後は、横の緩やかな坂の途中に駐車してある車まで歩いて乗り込むだけだった。坂の中腹くらいまで行けば見慣れたその車が停まっているはずなのに、中腹を過ぎて坂を下り切ってしまっていた。車は母が少し目を離した隙に綺麗さっぱり消えてしまったんだろうか。そんなことはあり得ないと思いながら、その坂を上ったり下ったりして車を探し続けた。坂を降り切った場所はT字路になっていて、信号があったかどうかまでは覚えていないけど、それなりに交通量の多い道路に面していた。そこまで歩いて行って周囲を見回す。実際は見回すまでもなく、近くの電柱になぜか母の車が後ろからぶつかって止まっていた。道に車体が飛び出すこともなく、坂の下で小回りを利かせていた。
車は修理してもらうとして、誰も怪我をせずに済んだのは不幸中の幸いだった。軽自動車とは言え、軽い物ではない。人間の身体では太刀打ちできない重量だろう。僕が幼稚園に通っていた時期だから、今から30年以上前のことだ。停車する時にサイドブレーキの引きが甘かったそうだ。当時の僕はそんな説明をされても理解不能だったが、今ならそれが心穏やかではいられない状況だったということは想像できる。それ自体は物静かな鉄の塊であったとしても、扱う人間次第でどうとでもなる。楽しみを提供してくれる物ではあるけど、それは安全を確保するという最低ラインをクリアしていなければならない。自分も今子どもを後部座席のベビーシートに座らせて運転をすることがある。気は緩めないし、張り詰め過ぎない。いつか目の前に続いていく同じ景色を、助手席と運転席に座りながら一緒に眺められる日を思って。