見たくなかった
1年振りに年末年始の期間で実家に帰省すると決めてから、いつも台所の大きなテーブルの椅子に座って、静かにテレビで駅伝を見ている変わらない祖父に久しぶりに会えると期待していた。僕の息子が生まれてからちょうど半年くらいのタイミングだ。日本も含めた世界の状況が今のようになっていなければ、きっと東京オリンピックの時期には息子を抱っこしてもらっていた。祖父が初孫として僕を抱っこしてくれたのと同じように。東京で生活することにも反対せず「食べるか?」と帰省して顔を見せる度にお菓子をくれる姿だけを、ずっとこれからも見られると思っていた。
今朝、母から写真と動画がひとつずつ送られてきた。少なくとも今年は顔を見られないと思っていた祖父がそこに写っていた。1枚は顔をアップで撮影したもので、動画は上半身が映っている短いものだった。いくらか顔が痩せたような印象を抱いたけど、それでもやはり僕の祖父に間違いなかった。面会に関してはやはり原則不可に変わりはないそうだが、ひとりの看護師の計らいで病院に行った祖母と僕の母が面会できたとのことだった。
そして今日は祖父の誕生日でもあった。今日ほど祖父に直接顔を見せてお祝いしたいと思ったことはない。結婚した時から自分の中での優先順位というのは決めていて、この先変わることはないのだけど、思うように身体を動かせない祖父の姿を見るのはとても辛かった。何となくではあるけれど、祖父母は2人ともいつまでも元気でいるような気がしていたから。帰省する度に穏やかに迎えてくれると思っていたから。写真と動画を交互に見比べていたけど、続く言葉が出て来なかった。
自分が後悔しない生き方をすると心に決めている。だから例え実家の家族と会う回数が少なくなったとしても、それは自分で決めたことなのだから受け入れる。そうは思っていても、やはり親同然のように生まれた時から関わってきた誰かの辛い状況に動じないほど、僕は冷静ではいられなかった。祖父のことだけではなくて、自分の息子や妻に対しても同じことが言える。何だかここ数年で涙もろくなった気がしている。そんなことを考えながらいると、なぜだか涙を堪えられなくなっていた。
自分はもう充分大人になったと思っていたけど、こんなにも感情を揺り動かされることが未だにあるんだと知った。もちろん両親に育てられたということに全く疑いの余地はないけど、愛情を持つということと信頼するということを教えてくれたのは父と母だけではなかったんだと強く感じている。だから僕はどこまでも信じていよう。祖父に直接感謝の気持ちを伝えられる日が必ず来ることを。