鮮やかで、不自然

 去年3年使ったiPhone Xを、12 Pro Maxに機種変更してから半年が経とうとしている。写真や動画は折り畳み携帯を使っていた頃から好きだったが、初めてのスマホとなったiPhone 5以降、音楽データと一緒に写真や動画も増え続けている。撮り溜めた画像達をMacBookに移動させたら、すぐに新しい物がiPhoneに溜まり始める。データの空き容量が無くなることはないけど、最初に撮った1枚から最後に撮った1枚まで全てスマホの中に置いておこうとは思わない。目当ての写真や動画を探すのに時間が掛かるし、枚数の多さよりも自分の記憶の中で印象に残っている物だけにして、いつでも見返せるようにしたいからだ。MacBookの空き容量は少しずつ減っているけど、iPhoneの方が満タンになることはしばらくなさそうだ。

 iPhone Xでも写真や動画は充分綺麗に撮影することができた。肉眼で見るよりも鮮明かと問われたら即答は難しい。現実の色とかけ離れているのではない。ただレンズに入って来た光をそのまま見せている感じもしない。より綺麗に見えるように、微細な機械達がiPhoneの中で加工してくれているようだ。他の誰かに見せれば感心してくれるかもしれない。画素数がiPhoneよりも多いスマホはいくつかあるようだが、使い慣れたシリーズの方が楽だ。機種を買い替えても操作方法が大きく変わることがない。新しくなった気がしないなと時々思うけど、数年間隔を開ければ大きな変化として感じられる。自分が望む機能が全て揃った上で、納得して購入できるモデルが発表された時に買うようにしている。

 今使っているiPhoneは、僕が今まで使った中で一番大きな機種だ。角の取れた丸いデザインだったのが、側面が真っ直ぐ切り落とされたようになった。完全な全画面とは言えないけど、相変わらず色が濃くはっきりと映し出される。これまでスマホでほとんど映画を観ることはなかったが、画面が大きいのでお世辞にも大迫力とは言えないまでも楽しめるようになった。側面のステンレスは滑らかだし、背面のガラスはさらさらとしていて、カメラレンズ周りとの表面の加工の違いが美しい。自分で購入した物に対して「美しい」という表現をしたことはほとんどないけど、今回自宅に届いた箱から出した時にはそう言わずにいられなかった。スマホというよりも工芸品を触っているような感覚になっていた。この先iPhoneがどうなっていくのかは分からないが、今のところ気に入っている。

 ポケットからiPhoneを取り出して、横たわった土管の中に今さっき入って行った息子にカメラを向ける。動画撮影に切り替えて息子の名前を呼んだ。声は反響しているが彼は口角をきゅっと上げてこちらを見ている。ひたひたと土管の内側で手足を交互に動かしながら僕の方に進んでいる。入り口の外側の芝生の色が飛んでいるが、土管内側の表面の色は濃い。こんなに光っていたっけと思えるくらいの光沢も見える。でも実際のそれはあくまで冷たいアスファルトだ。買い物帰りに、自宅近くの空に向かってiPhoneをかざしてみる。雲一つない晴天だった。画面が真っ青になった。建物が極力入らないように画角を調整してシャッターを切る。撮れた写真に写っているのは空の青だけだ。その青と、見上げた空の青は同じではなかった。写真の空は確かに青い。濃い青だ。青を何度も塗り重ねたような色だった。でも僕の目で見る空の青は、写真と比べると薄く感じる。写真のように際立った色には見えないが、極自然な青に感じられた。

 鮮やかではあるけど、不自然な色。自然な色と言っても、人によって何を自然と思うかは違ってくる。印象には残るかもしれない。自分の目に映る景色を、自分以外の何かの間隔を一切介さずに閉じ込められたらと思う。

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